2003/10/19

超人ミグ(前編)



 この頃、放課後にはドッジボールやサッカーが流行していたが、授業の合間の短い休憩時間に流行っていたのが相撲だった。

痩身ながらも驚異的な粘り腰を持つにゃべっちは、前年はクラスで一番強く「相撲」といえば真っ先にその名が挙がった。

そしてこの年も、前年同様の相撲ブームが続いていた。

ブームは徐々に盛り上がり、遂に大勢の男子生徒が参加して「勝ち抜き戦」が行われるまでに到る。

クラス一の巨漢シモッチやシモッチに続く長身のボサマ、ミグら強豪が並んでいた。

これらの強豪が順当に勝ちあがり、準決勝でシモッチとぶつかる。

クラス一の長身というばかりか、横幅もあるシモッチは体格的にはまさに相撲向きだ。

巨体の圧力で、ジリジリと押してくるシモッチに土俵際まで追い詰められたが、土俵際で無類のしぶとさを発揮するにゃべっちのうっちゃりが決まり、鮮やかな逆転勝利。

もう一試合は、ミグとボサマの対戦だ(「ボサマ」はテラダという苗字から、にゃべっちが命名したあだ名)

シモッチに次ぐ長身の2人が、ガップリ四つに組んだ強烈な引き付け合いは、見ごたえ充分だ。

吊りが得意な両者、どちらも吊りを狙って強烈な引き付け合いで、腰が伸びきった状態が続いたところで「異変」が起きた。

ブチッ!

という派手な音を立てて、ボサマの太いベルトが真っ二つに千切れてしまったのだ。

なんというミグの怪力!!

ベルトを千切られたボサマは災難だが、逆にベルトがない分勝負はボサマが有利になったかに見えた。

がっちりとベルトを掴んで離さないボサマに対し、ミグは持ち手がなく力が入り難い不利な状況だ。

ようやくボサマがミグを吊り上げ土俵際まで持っていったが、しぶといミグの豪快な掬い投げが炸裂。

ボサマは宙に舞い、裏返しにされた。

まことに恐るべきは、ミグの怪力だ!

その「超人ミグ」が決勝の相手として、名乗りを上げる。

密かにボサマの進出を期待したものの、決勝に出てきたのはやはりミグだった。

このミグこそは、神童にゃべっちにとっては憎っくき「宿敵」ともいえる唯一の存在だ。

勉強だけでなく、これまでスポーツでも万能振りを発揮してきた、神童にゃべっち。

唯一、プールだけは苦手としていたが、これを除けば4年生までは「負け知らずのパーフェクトキャリア」で来ていた。

そのプールも、泳げなかったにゃべっちにとっては、少しでも泳げる全員に負けていたと言えなくはないものの、そもそもサボってばかりいたいわば「不戦敗」が実情だから、プールに対する苦手意識とかアレルギーはあっても「誰かに負けた」という意識はなかった。
 
 ここまで「勝負」の中で唯一負けたのは、3年生の時の徒競走だ。

が、これはスタートで転んで、大きく出遅れたビリからのスタートという例外である。

それでも後半追い込んで3位まで挽回したのだから、これもレース展開や相手の顔ぶれを見て本来ならば1位は間違いなかっただけに、自分の中ではあくまで「負け」とは認めていなかった。

それを除く1年、2年、4年の徒競走は1等賞である。

続く4年生のドッジボール大会の敗戦は、体格的に大きなハンデのある上級生(6年生)が相手だから、これも同級生に対する「敗北」ではない。

そうして無敗のまま迎えた5年生の徒競走で、遂にこのミグにタッチの差で敗れたのである。

ほんの僅かの差とはいえ、これに関してはどのような言い訳や負け惜しみも出来ない、明白な「敗北」であり

「オレより速いのがいたか・・・」

と、認めるしかなかった(ただし僅差だったため、当事者以外はみな「どっちが勝ったか、わからなかった」と声を揃えていたが)

そして次のクラス対抗リレーでは、ミグを抑えて優勝してリベンジを果たしてはいた。

そうした経緯を経て、迎えたのがこの決勝戦だ。

身長はミグの方がやや高いが、スマートな体型やしぶといところは似たタイプと言えた。

が、さすがに相手の太いベルトを千切るくらいだから、ミグの怪力は小学生とは思えないほどすさまじい

背は高いとはいえあの細身の体のどこから、これだけのバカ力が出るのかと不思議になるほどで、引き付けられると腰が伸び上がってしまうのである。   

得意の吊りを喰らい、捨て身の外掛けで何とか逆転を狙ったものの、ぐらつきながらもしぶとく持ち堪えるミグ。

怪力だけならシモッチの方が上だったろうが、ミグの場合は単なる怪力だけでない攻めの多彩さと、攻められた土俵際でのしぶとさも驚異的というオールマイティだったから、まったく手がつけられなかった

結局、最後は寄りの圧力に屈して敗れる。

あくまでも放課後の「遊び」だけに、徒競走や球技大会など全員参加の正式イベントではないとはいえ、前年の徒競走に続くこの敗北により「神童伝説終焉」の引導を渡されたような苦い思い出として、深く心に刻まれることになった。  

その後も、ミグの快進撃はとどまるところを知らず、数人のベルトを千切ったために

「もうミグやるのは嫌だ!」

と皆から敬遠されるに到り、相撲ブームは徐々に下火となって行った。

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