ケチが付いたS社のM女史とはスッパリと縁を切ったが、やはり自分が多少なりとも関わった雑誌は気になっていて、書店などへ行くと知らずに目が雑誌を探していた。創刊号には、にゃべっち筆による特集記事が華々しく出ていたが、当然ながら続く2号、3号は知らない記事ばかりで、複雑な思いでパラパラと確認をしたりした。ところが、好景気の波に乗り勢いに乗るかに見えたP誌だったが、その後版を重ねる毎に、お色気路線に傾いていった。
(なんじゃ、こりゃ?
創刊の時とは、かなりカラーが変わって来てるな・・・)
その後、取材先で「情報通」として知られる情報誌の社長に会った時に聞いたところでは、思ったより売り上げが伸びないために広告が取り難い状況があり、それを打開すべく(部数を伸ばす)、安易なお色気路線に走るという、定型的なパターンに陥りつつあったらしい。が、当然の事ながらこれは逆効果で、そうしたお色気記事が多くなったがために、広告主からは益々敬遠されるという悪循環に嵌りこんでいた。
我々取材する側からすれば、飲食店も風俗店もそれほど大きな差はないという認識が強かったが、飲食店の中には
(風俗店などと同じ雑誌に載るのだけでも、著しいイメージダウンだ)
という考えの店主が、多く存在していたのである。
また、お色気記事を売り物にするような雑誌は既に沢山存在しているから、後発である上に中途半端なプライドが捨てきれないP誌の存在価値は、どう見ても殆ど無きに等しかった。こうして、U通信社肝入り(というより、現実は若い二代目社長の道楽に近かった)でスタートしたP誌だったが、僅か一年も持たずに呆気なく書店の店頭から姿を消す事になった。
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稀に見る才能(?)にも惜しげもなく見切りをつけ、雑誌の発行にはド素人の集団が夢に向かって邁進したU社営業軍団旗振りの下、ベテラン女社長や編集長らの奮闘もむなしく、哀れにも激しい出版競争の海の藻屑と消えてしまったのは、果たして何が原因であったかは定かではない。が、見方を変えれば、これぞ「ラッキーボーイ」の面目躍如たる、ある一例であったとも言える。その証拠に「ラッキーボーイ」の参画により、元気に船出した創刊号が売れて評判になったのは厳然たる事実である。そして「ラッキーボーイ」が去った後は、版を重ねる毎に落ち目となったことも、これまた厳然たる事実だ。
まさに連載初めの方で書いた通り
「ワタクシが関わった現場やプロジェクトが、ワタクシの在籍中は順調に行っていたのが、ワタクシが抜けた後でトンデモナイ事になっているケースが多い」
という法則そのままであり、結果として志半ばで退場の憂き目にあった若きラッキーボーイが溜飲を下げた事だけは、間違いのない事実であった Ψ(`∀´)Ψザマアミロ
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