1740年から1748年まで、ヨーロッパではオーストリア継承戦争という、複数の国を巻き込んだ戦争があり、1748年にアーヘンの和約で終結した。
イギリスは大軍をフランスとの植民地戦争につぎ込んだが、戦果はあまりパッとしなかった。
それだけに、せめて祝賀は華々しくとの国王のお声掛かりで、花火大会が計画されたのである。
1718年の再度の渡英以来、この国に定住したヘンデルは1749年の春頃に、この「屋外での演奏用に管楽器と打楽器の軍楽隊編成」のこの曲を作曲した。
そして4月27日の花火大会に、初演を迎える。
曲の編成は、管楽器のみからなる大がかりなもの(オーボエ24、ファゴット12、ホルン9、トランペット9、ティンパニ3)で、特に野外で朗々と響くよう苦心された。
下記の全5曲で構成される。
1.
序曲
2.
ブレー
3.
平和
4.
歓喜
5.
メヌエットI・II
序曲は祝典曲にふさわしく華麗で、後に舞曲(軽快な「ブレー」とゆったりした「メヌエットI・II」)が配置されており、変化が楽しめる。
自作の再使用も見られるが、これは当時は普通に行われていることである。
初演の際には楽器がさらに増加され、100本の管楽器という大編成となった。
※ http://www.geocities.jp/mani359/index.html 引用
ロンドンの花火大会は、常に大勢の観客で賑わっていた。
国王や貴族は特設の観覧席に座りったが、一般人は会場や近くの道路に溢れ返り、そのため何時間も馬車の往来が妨げられるほどだった、と言われる。
花火は14世紀にC国からヨーロッパに伝わり、マグネシウムやアルミニウムの粉末で発光させ、硝酸カリウムや塩化カリウムで様々な色を演出した。
ところが肝心の花火大会は、あいにくの雨天で花火の打ち上げには失敗した。
そればかりか火災まで起こし、祝賀のために作られたパノラマの櫓が「ブリタニアに平和を手渡す、国王ジョージ2世像もろとも焼け落ちる」という大惨事となった。
しかしヘンデルの音楽だけは成功し、後に室内で演奏するために弦楽器を補い、管楽器を減らした編成で書き直された。
※ http://classic.music.coocan.jp/index.htm 引用
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