2003/10/20

銀閣寺から哲学の道へ(京都桜紀行part10)

 9歳にして足利将軍家の家督を継ぎ、15歳にして征夷大将軍の座に付いた生まれながらの将軍だった義政が、権謀術数がうごめく政治の世界に嫌気がさして自ら隠栖生活を過ごすべく造営したのが、この「東山慈照寺」、つまり銀閣寺である。隠棲後の義政は、生涯をこの東山殿の造営に託したとも言われ、8年の歳月を費やして自らの美意識のすべてを投影し、その設計から建築までを総て自ら指揮を取り、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げたと伝えられるが(または凄腕の正室・日野富子に政治を任せて、悠悠自適にという見方も出来るが)、いずれにせよ義政という人は偶々将軍家に生まれ合わせてしまったものの、その真価は大変な芸術家というほかはないだろう。

国宝・東求堂の前に陣取り、飽かずに眺めているうちも外人の観光客がひっきりなしに記念撮影に余念なく、しばし佇んだ後におもむろに庭内を見て廻る。なにせ一歩足を踏み入れた時から、この銀沙灘と向月台に見惚れていたために気が付かなかったが、よく見るとこの銀閣寺の敷地の中には、桜の木が一木すらないのだった。花見シーズンで各地から観光客が訪れる、いわば観光寺社にとっては書き入れ時であるにもかかわらず、桜が一つもないというのもある意味では立派な見識であるといえようし、また初日からどこへ行ってもソメイと枝垂れの競演という思っても見ない僥倖に恵まれながら、それだけに4日間の行程で些か桜に酔って感覚が麻痺しつつあっただけに、この時に限っては却って新鮮さを覚えたものである。


さて、広い敷地をグルリと廻って階段を上がり、小山になった漱蘚亭跡まで来ると、上段の庭を苑路から望む事が出来る。こうして上から見る庭園は、また違った趣がある。ツアーなど団体旅行は、銀沙灘と向月台の周囲を歩いて銀閣を写真に撮り、そそくさと帰って行くパターンだから、ここまで来るものは少ないが、こういうところにこそは真に見ておかなければならない。銀沙灘の周りを入れ代わりでグルグルと歩き回っている「下界」の観光客の姿は、さながら砂糖に群がる蟻の如しである。この高みからは、五山送り火の跡も幾つか目にする事が出来た。
 

<東求堂(とうぐどう)
 
  
国宝。義政の持仏堂で、1486年(文明18年)の建立である。東求堂の名は横川景三の撰による。池に面して建てられ、大きさは3間半四方。正面左は方2間の仏間、右奥は義政の書斎(同仁斎とよばれる)である。書斎の北側に設けられた付書院と違棚は現存最古の座敷飾りの遺構であり、書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な遺構である。なお創建当時は、現在位置より南方の銀閣に近い位置に建てられていたと推定されている>
 
 参道を抜けると、そこは桜のトンネルだった・・・
銀閣寺の敷地内には桜の花が見事に一つもなかったが、参道を抜けた途端に哲学の道の桜のトンネルが満開の装いで迎えてくれた。

<哲学の道は、京都市左京区にある小道である。南禅寺付近から慈照寺(銀閣寺)まで、琵琶湖疎水の両岸に植えられた桜は見事で、春や紅葉の秋は多くの観光客で賑わう。哲学者・西田幾多郎が、この道を散策しながら思索に耽ったことから、この名がついたと言われる。「思索の小径」と呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされており、1972年に正式な名称となった。「日本の道100」にも選ばれている散歩道である。


道の中ほどの法然院近くには、西田が詠んだ歌

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」

の石碑がある。

哲学の道の桜は、近くに居を構えた日本画家・橋本関雪の夫人が大正年間、京都市に苗木を寄贈したのに始まる。当初の木は、ほぼ樹齢が尽きたと思われるが、植え替えられ手入れされ現在に至っている。 今でも「関雪桜」と呼ばれている>

銀閣寺から出てきた参拝客の流れをも飲み込み、見渡す限りの人の頭で埋め尽くされた哲学の道。まさに麗らかな小春日和という表現がピッタリの、ポカポカとした絶好の好天に恵まれ、桜の花が一段と美しく輝いて見える。やはりあの清楚な色合いの桜の花びらは、青空にこそ最も良く映えるというものである。



桜トンネルの合い間のところどころには雪柳の花が咲き誇り、天高く延びる桜との好対象で一層、その美しさを引き立てててもいた。道端の石に腰掛け、優雅にハープを奏でている大道芸の外国人など、思い思いに春を体一杯に吸収する人々を尻目に、ノンビリと南禅寺まで歩き抜けて行く。この34日に渡った旅行も、いよいよ最後の平安神宮を残すのみとなった。時期的には枝垂れにはまだ早いから、ソメイだけでも十分に堪能していこうという積もりであったが、これまで廻った寺社で軒並み枝垂れとソメイの競艶に出くわして来ていただけに、いやが上にも期待が高まっていた。

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