遂にマッハの大学受験の日が来た。
中学から、地区では有名だった陸上短距離走者として、県大会に出場するほどの大活躍をしたエースだっただけに、スポーツで有名な地元の『C大』を始め県外の大学など2、3の大学から体育学部の推薦の引き合いがきたものの
「陸上では、メシは喰えんからなー」
と総てをソデにして、一般入試に挑んだ。
本人の希望通り、横浜の国立大と東京の有名私大、地元は『南山』のみを受験。
当時の『Y国立大』文系といえば『名古屋大』など「旧帝大」にも迫る難易度の高さだっただけに、教師からは
「受かる可能性は、きわめて低いと言わざるを得ない・・・」
と説得され、オヤジの猛反対もあったが強引に押し切っていた。
そして結果は・・・ものの見事に不合格!
元々、数学が苦手なマッハだけに、全教科満遍なく得点が要求されるセンター試験が待ち構えている国立大は、当初から玉砕覚悟だったらしい。
普段は、滅多に話し掛けてくるような事はなく、無愛想を絵に描いたような兄だったが、不合格とはいえさすがに受験を終え肩の荷が降りたのか、この時ばかりは珍しく明るい調子で話し掛けてきた。
「オレは数学が超苦手だからなー。
センターの数学なんか、白紙で出してやったぜ (ノ∀`)アヒャヒャヒャヒャ」
元々、誰に対しても本心を見せないタイプだけに「白紙」云々はデタラメだとしても、どこまでが本音かは窺い知る術はない。
一方、私大の方も第一志望の『G大』が不合格に終わり、第二志望の『A学院』と地元の『南山』には合格した。
が、オヤジの
「アオヤマなんて、タレントの行くようなチャラけた大学は辞めとけ」
という猛反対に遭ったのと、合格したのが希望学部ではなかったため進学を断念。
両親は乗り気だった地元『南山』の方は
「あんなのは、滑り止めで受けただけだからな・・・」
と本人が入学へ気持ちが傾かず、遂に現役での進学を断念した。
スポーツマンとしての実績を変われてか、なぜか警察や自衛隊といったお堅い業界から熱心な勧誘が引く手数多あったものの、本人はその方面には一切関心を示さず、遂に「浪人」となったマッハ。
名古屋の予備校「K塾」へ通うことと相成った。
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