2003/10/21

桜の平安神宮(京都桜紀行part11)

 道路の真ん中で東山の山並みをバックにした、あの朱塗りの大鳥居が聳え立っているのは、見覚えの懐かしい光景だ。

<平安神宮は、京都府京都市左京区にある神社で旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は、神社本庁の別表神社である。明治28年(1895年)315日に平安遷都1100年を記念して、平安京遷都当時の天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。皇紀2600年にあたる昭和15年(1940年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されている。

 

昭和51年(1976年)16日、火災が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。創建が比較的新しく文化財指定を受けていなかったため、国からの補助金が見込めなかったが、全国からの募金により3年後に再建された。この火災は後に過激派による放火と判明し、容疑者は逮捕されている。社殿は、平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものである。大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模している。その内側の左右の殿舎は、朝集堂の再現である。拝殿は、朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模している。

 

 

基本的にはこれらの建築様式は、平安時代後期(1112世紀)の第3次朝堂院を再現したものとなっている。ただ、大極殿と応天門の間には本来は会昌門と朝堂12堂が存在し、応天門の左右には翔鸞楼と栖鳳楼という楼閣が付属していたが、これらは平安神宮では復元されていない。また、平安神宮の社殿の瓦はすべて緑釉瓦となっているが、近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか、緑釉瓦は使われていなかったと推定されている。

参道の大鳥居は、24.2mの高さがある。敷地面積は、約10,000坪の日本庭園である「平安神宮神苑」を含め、約20,000坪ほどある。神苑は、明治から昭和にかけての名造園家である7代目・小川治兵衛(植治)が20年以上かけて造った名園で、国の名勝に指定されている。神苑には人里には少ないカワセミやオオタカなどの鳥類や、甲羅に草を生やすミノガメ、日本では非常に珍しいミナミイシガメなどが棲息している。

 平安神宮の周辺は岡崎公園として整備されており、文化ゾーンになっている。 大鳥居を挟んで西には京都府立図書館、京都国立近代美術館、京都会館、東には、京都市美術館、京都市動物園などがある>
出典 Wikipedia

美術館などの赤レンガのレトロな建物や岡崎疎水の流れる川べりのような和洋折衷にも、すんなりとマッチしてしまうところがなんとも不思議である。平安神宮の広い境内とはいえ、やはりここも花見客で埋め尽くされていた。応天門もそうだが左右の白虎楼、蒼龍楼に中央の大極殿など総て最近塗り替えられたばかりなのか、朱塗りに緑の屋根を戴いた独特の建物が色鮮やかに青空に映えている。何度見ても、あの有名な春日大社の本殿も色褪せて見えるほどの、圧倒的な迫力である。お目当ての神苑に入ると期待した通り、他の庭園同様に枝垂桜もほぼ満開を迎えていた。

 

<平安神宮神苑は、京都府京都市左京区にある池泉回遊式の近代日本庭園である。平安神宮の大極殿背後の周囲三方に配された南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成される。 面積は33,000㎡、作庭は小川治兵衛、国指定の名勝>

実はここへ来る前に哲学の道を歩いてきた事もあり、また前日までの3日間で随分と桜を堪能してきていた事もあって、些か桜の花に酔ってしまい

(もう桜などはどうでもよい・・・)

という気持ちが幾らか嵩じて来てはいたのだったが、やはりこうして美しい花びらを目の辺りにすると、知らぬ間にビデオカメラを構えていた。

 

この旅行を通じて2日目は小雨に祟られたものの、他の3日間は小春日和の好天に恵まれたが、最後の平安神宮では雲一つない晴れ晴れとした見事な青空が視界一杯に広がっていた。見上げる紅八重の鮮やかな濃いピンクと、それに比べれば殆んど白にみえるソメイヨシノが美しさを競うかのように誇らしげに広い境内も狭しと咲き誇っているのは、これ以上ないというような美の極致であった。たっぷりと時間を掛けて夕暮れまで翔鸞池、白虎池、蒼龍池、栖鳳池と4つの池の周囲を廻り庭園を一周すると裏門の泰平閣に出て、この二度とないような総ての好条件に恵まれた旅程に終止符を打った。

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