物事何かにつけて「第一印象」が大事である事は総てに共通する事だが、音楽とて例外ではない。
殊に30分を超えるような大作ともなれば、まずはオープニングからリスナーをしっかりと惹き付けてしまわない限り、その後にどんなドラマティックな展開が待っていようとも、そこまで聴かせる事は至難の技なのだ。
無論、そんな事は偉大なアーティストたちは百も二百も承知だから、印象的なオープニングの曲だけを数え上げていっても、それこそ枚挙に暇のないところだ。
それら、キラ星のような傑作群の中にあってもなお、ひときわ煌びやかな輝きを放ちつづけているのが、この曲である。
Classicに興味のない人でも、この曲のオープニングを聴いたことがないという人はまずいないだろうし、これぞオープニングといわんばかりのあの華やかさは古今東西のオープニングの中でも一、二を争う傑作に挙げたいところである。
<第1楽章は、時間的には全曲の半分以上(20分以上)を占める、長大なものになっています。
まずホルンによる、力強く下降してくるモチーフで、全曲が始まります。
この印象的な出だしは、非常に有名です。
合いの手でオーケストラが「ジャン」と入ってくるのも、とても格好の良いものです。
続いて弦楽器による、スケールの大きなメロディが登場します。
このメロディは、最初のホルンのモチーフに基づいています。
その間、独奏ピアノが三拍子のリズムに乗せて「バン、バン、バン」と和音を弾くあたりも、非常に華麗です。
この導入部分は、この曲の中でも特に有名です・・・が、何とこのメロディは、この曲の中で二度と再現しません>
※ http://www.oekfan.com/ 引用
これだけの素晴らしい曲だから、普段は臆病かつ病的なまでの小心者と言われたチャイコフスキーにしては珍しく相当な自信を持っていたようで、ニコライ・ルビンシテインを初演者と目し、彼に献呈しようと考え、1874年のクリスマスにこの作品の草稿の段階でルビンシテインともう2人の楽友に聞かせた。
ところが、まったく思いがけないことにルビンシテインから
「この作品は陳腐で不細工であり、役に立たない代物であり、貧弱な作品で演奏不可能であるので、私の意見に従って根本的に書き直すのが望ましい」
と激しく非難されてしまった。
これには、さすが温厚で鳴るチャイコフスキーも激怒し、スコアを鷲掴みにして部屋を飛び出していったと言われる。
ピアノの師匠を任ずる、ルービンシテインの立場からすれば
「なんで自分に相談してくれなかったんだ?」
という僻みもあったろうが、初稿の時のスコアは現在世に出ているものとはかなり違っており、現実にピアノの専門家の目から見て技術的にかなり演奏が困難な、常識離れのした構成であったのは事実だったらしい。
現在、世に出ているものはチャイコフスキー自身によって、後に大幅に改定されたものである。
チャイコフスキーは友人であるルビンシテインの言葉に従わず、この非難の後、セルゲイ・タネーエフへの献呈を目して作曲を進め、オーケストレーションが完成した後で、著名なドイツ人ピアニスト・指揮者のハンス・フォン・ビューローへ献呈した。
ビューローは、この作品を「独創的で高貴」と評し、アメリカでの初演は大成功を収める。
その後、己の狭量を省みて改心したルービンシテインが、世界中を回り演奏旅行をした事により、この名曲は広く世に知れ渡った。
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