旅行好きだからヒマと金さえあれば、直ぐにどこへでも飛んでいく。
愛知県に住んでいたころは、実際の行き先は専ら関西方面ばかりだった。わけても京都には春の花見、秋の紅葉狩りシーズンを主に毎年2~3回、時に奈良や滋賀などにも足を延ばしたりもした。
そんな旅行好きながら関東方面にはトンとご無沙汰で、記憶を掘り起こしても本当に数えるほどだ。
子供の頃は、毎年夏休みと春休みなど家族旅行に行くのが恒例だったが、東日本といえば箱根や焼津、富士山、伊豆半島といったところへは連れて行かれた記憶はあるものの、東京となるとまったく記憶がない。中学生ともなると、姉が高校へ進学してなにかと忙しくなったり、こちらとしても親と一緒の旅行が気恥ずかしく次第に敬遠するようになったりで、家族旅行はピリオドとなった。
愛知の中学の修学旅行では恒例の「東京・箱根方面」へ行き、この時は皇居から始まって国会議事堂や東京タワーといった、お決まりのコースを廻ったと記憶しているが、残念ながらここまでの記憶は殆んど曖昧な霧の彼方にある。
記憶が鮮明なのは大学受験の年で、実質的にはこれが初めての自らの足での上京と言える。
子供の時から早起きが大の苦手だったため、試験前日に上京して1泊する事にした。元々、普段から定期考査前日も含め、一度たりとも勉強したことがなかった大の怠け者だったが、教師の強く奨められた私立最難関と言われた某大政経学部を
「政治家になるわけじゃないし」
と一笑の元に却下し、文学部一本に絞った受験は目を瞑っていても合格の自信があった。
それだけにすっかり観光者を気取り、東京駅から皇居、銀座、六本木などを歩いた後、有名な渋谷では兄の母校を見学し、青山~表参道~新宿などをブラブラ歩いたりした。
当時から、原宿ではパンクを真似たような奇抜なファッションをした若者が踊っていたり、オシャレな若者が闊歩する渋谷などを歩いているうちに、田舎者には想像を絶するあの人込みに酔ってしまい、おまけに予約するのが面倒で飛込みで訪れた何軒かのホテルから「満室」と門前払いされ続けたことで
(子供だと見て、ナメてやがるな!)
などと、腹を立てたりもした。
そして、何といっても
「どこから、こんなにも湧いてくるのだろう?」
と思えるような、あのあまりもの人間の多さに疲れ果て
「これは、人間の住むようなところじゃない!」
との刷り込みにより、すっかり「東京嫌い」となってしまった。
そうした経緯により「東京嫌い」がトラウマとなったワタクシがこの地に寄り付くはずもなく、次に東京へ行ったのは社会人となってからだった。
当時マスコミ関係の仕事をしており、某大手出版社からお呼びがかかり仕事を増やすために、上京しなければならない仕儀となったのである。
東京にはまったく良い印象がなかったが、横浜中華街や鎌倉大仏といったものは一度は観てみたかったため、手ぐすね引いて計画を立てて準備をしていたが、訪れた出版社からその場で急ぎの仕事依頼が舞い込み、トンボ帰りを余儀なくされるハメとなる。
フリーランスとなってからは、東京の出版社やプロダクションと取引がありながらも、遂に呼ばれても東京まで足を運ぶ意欲がない。本来なら訪問しなければならない年末や年始の挨拶なども、総て歳暮と電話だけで済ませる不義理を重ねながら誤魔化し続けった。こうして遂に一度も上京することないまま、受験以来、実に10年ぶり以上の上京となったわけです。
思えば東京はおろか、東日本方面への旅行まで範囲を広げても、静岡の富士通某からのお誘いがあって浜松に2度足を運んだのと、製造業のQRコード導入に携わった時に、掛川にある現場への導入で出張した時くらいのものか。もっとも掛川出張の時は、夜には大阪(門真市)へ真っ直ぐに移動したため、観光の時間などはまったく取れなかったが。
要するにいずれもが静岡止まりで仕事絡み、つまり自腹を切っての旅は一度もないという事になる。
ところで愛知のIT関係の仕事となると、ざっと7~8割以上は占めていそうな「世界のT社」との相性の悪さは以前から感じており、そのようなことから名古屋のIT業界でやっていくのに限界を感じたこと、さらには次に目を向けるべく関西方面に至っては、ITに関しては名古屋以上の不景気で仕事がない状況であってみれば、ここに至ってITエンジニアとしては否が応にも東京に目を向けざるを得ない状況となった。
なんと言って大企業の本社は殆ど東京に集まっており、ネットの転職サイトに登録してからというもの、オファーがかかるのは東京からばかりというのが現実で
(なるほど・・・IT業界の仕事は、東京に一極集中しているのだな・・・)
との実感を改めて認識させられる。
名古屋や関西などでは、まず地元以外の人間に声がかかるのは滅多にないことだが、確かに東京からは当時の好況もあって
「引越しは可能ですか?」
などと、気軽に聞かれた。
「必要とあれば、住所などはお構いなし」といおうか「仕事があれば、引っ越してくるのが当たり前」というような、やはり地方都市にはない東京特有のバイタリティが感じられた。
既に東京トラウマから10年以上が経過したのと、このような現状を認識しながら
「東京で暮らしてみるってのも、ありかな?」
と漠然と思い描く程度には、以前のような「東京アレルギー」は蔭を潜めてきてもいた。
そんなタイミングで舞い込んできたのが、東京からの面接のお誘いだ。全国各地に拠点のある大きな企業だけに、名古屋での面接を希望しようとしたものの、富士通某からは
「書類選考の結果、最終面接に進みましたので本社へお越し下さい」との返事。 そこには
「往復の面接交通費は、当社で負担いたします」
と、記載されていた。
(折角、ただで東京に行けるのなら浮いた分の費用で1泊して、横浜や鎌倉見物にも行って見ようじゃないか・・・)
と、以前に三重県の企業から同じように面接交通費を負担してもらった時に、念願の伊勢神宮や松阪を見物した時と同じようなことを考えたのは、当然の成り行きと言えた。
こうして瓢箪から駒のように、受験以来10数年ぶりに迎えた初の東京出張と相成ったのである。
さて、どうなりました事やら (´0ノ`*)オーホッホッホ
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