2004/06/12

ベルリオーズ 幻想交響曲(第4楽章)



断頭台への行進
嫉妬に狂った芸術家は、遂に夢の中で殺人を犯してしまった。刑場に引かれて行く様子が、行進曲風の非常に重々しく不気味な旋律で展開される。最後に一瞬、あたかも芸術家の頭に浮かんだ末期の回想シーンであるかのように「恋人の旋律」の断片が顔を覗かせるが、その回想を断ち切るかの如くに非情にもギロチンが落ちてくる。作曲家の首が刎ねられる衝撃的な瞬間が、打楽器と金管楽器総出の大迫力で見事に演出される。全曲を通じて最も有名であり、また最大の聴きどころでもある。

 ベルリオーズは、遂にこの『幻想交響曲』で一躍有名になり、ローマ大賞の褒美として2年間のイタリア留学を果たした。帰国したパリで、再び自作演奏会を開いた。

2年の歳月は、短いようで色々な事がある。ベルリオーズが、一流作曲家としての地位を着々と築き始めていたのとは対照的に、憧れのスミスソンの方は公演で移動中の馬車から転落し、足を骨折したために舞台に立てなくなり、莫大な借金を抱え込んですっかり「落ち目の三度笠」といった、悲劇に見舞われていた。

往時の容色も甚だしく衰え、閑を持て余していた(?)彼女は、今度は有名となったベルリオーズの招待に応じ、素直にやって来た。彼女には、この『幻想交響曲』についての予備知識は、まったくなかった。とは言うものの、このどこかヘンテコリンではありながらも、何とはなしに惹かれるところのある不思議な魅力を湛えた音楽に、次第に惹き込まれていった・・・そこで彼女は改めてプログラムに目を通し、初めてこの作品が自分のために書かれた曲であった事を知るに及んだのである。

 音楽評論家としても有名だったシューマンをして

「ベルリオーズを天才と認めるべきか、はたまた音楽史における冒険者と認めるべきか・・・」

と、悩みに悩ませたベルリオーズである。

作家のロマン・ロランは

「もし天才というものが創造力を指して言うのであれば、これほどの天才は私は世界中を探しても、4人か5人を超えるとは思わない・・・ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、ヘンデル、ワーグナーという名を挙げた場合、私は音楽芸術という点で彼を凌ぐ者、否、彼に匹敵するものすら一人としていないであろう、という事が出来る・・・」

と、ベルリオーズに対して最大級の絶賛を惜しまなかった。

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