阪神電車に「大物」という駅があります。
(え?
おおもの・・・?)
と思わず吹き出しそうになりましたが、読みは「おおもの」ではなく「だいもつ」ということで、それはそれでまたユニークだわいと感心してしまいます。いかにも関西らしい大胆な名前ですが、そもそもなぜこんな名前なのかというところが大いに気になり、さっそく調べてみました。
《大物は尼崎城下町の一つで、平安時代以来繁栄した町場です。現在地付近の江戸時歳の風景を描写した「摂津名所図会」には、大物橋の北に大物社若宮(現在の大物主神社)が描かれ、遠くに大物と接する長洲の長洲天神【現在の長洲天満宮)が見えます。
大物橋にかかる水路は大物川の一部で、庄下川の分流でした。橋の南側一帯には城下町建設前に尼崎の中心であった大覚寺(現在の寺町へ移転)の寺域がありました。
現在地は、この大物川を埋め立てて緑途とし、「歴史の散歩道」として公園整備された所です。
大物の地名由来には、諸説ありますが、平安時代に港町として栄えていた尼崎の材木集散地がこの地にあり、この巨材を「大物」と呼ばれていたことから、いつしかこの地を大物と呼ぶようになったという説が有力です。大物浜から、平安時代末源義經が兄の頼朝の追討を逃れるため、船出した史実が、のちに謡曲「船弁慶」や歌舞伎の世界で庶民の胸に荒々しき大物浦のイメージを与えることになりました(尼崎市教育委員会)≫
なるほど、当然の事ながら単なるオフザケの地名ではなく、しっかりとした由緒のある地名ということがわかりました。さらに掘り下げていきます。
《大物駅の南にある大物主神社(おおものぬしじんじゃ)に祭られているのは、大物主の大神つまりオオクニヌシノミコト。この大物(だいもつ)の地名の由来ともいわれる神社で、一般的には大物神社でも通ります。また大物は源義経が兄である源頼朝に追われ、出帆しようとして遭難した地としても有名で、その際この大物主神社にて隠れ住んだとの伝説もあります》
なんと、あのオオクニヌシノミコトに関係していたとは驚きですが、言われてみれば確かにという気もします。
なお、ポリネシア語による解釈では
《大物浦の「だいもつ」は、マオリ語の「タイ・モツ」、TAI-MOTU(tai=the
sea,the coast,tide;motu=separated,escaped,cut)、「海流から切り離された(崎によって海流の影響を受けない静かな港)」の転訛と解します》となっています。
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
ちなみに阪神電車沿線は「姫島」、「千船」、「出屋敷」、「打出」、「千鳥橋」、「福」、「出来島」等々、おもろい駅名のオンパレードです ( ´艸`)ムププ
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