こうして、昨年同様『A中』対『B中』という、因縁の決勝対戦が実現したのである。
同じA市にある『A中』は『B中』にとっては、長年の宿敵だ。実際のところ、正確には「宿敵」といっては相手に失礼になるくらいに、特にここ数年の両校の力の差は歴然としていた。例年、地区大会ではいいところまで勝ち上がりながら、ここ一番で悉く頭を叩かれて県大会への道を閉ざされてきた、憎っくき宿敵である。
昨年もこの地区大会の決勝で相まみえながら、まったくいいところなく「0-5」と一方的に不様な展開で敗れ、3年生は悔し涙の慟哭を残しつつ無念の卒業をしていった事は、まだ記憶に新しい。その先輩たちが、部を去る時に後輩たちが何かのプレゼントを企画しようとしたが、それを耳にした3年生たちは口を揃えて言った。
「オレらは、なんも要らん。ただ、オマエらに一つだけ頼みたい事がある・・・1年後には『A中』を圧倒するくらいに、強く逞しくなって欲しい。ただ、ただ、それだけだ・・・」
と涙のリベンジを託されていただけに、今年こそはどうあっても負けては先輩たちに顔向けが出来ぬ、という意気込みが強かった。当時、三国志や十八史略などの歴史物に嵌っていたにゃべは
「あの敗戦は、まさに『会稽の恥』だ・・・」
との思いを強くしていた。
「会稽の恥」とは「それまで経験したことがないほどの、恥ずかしい思い、屈辱的な恥」を意味する故事である。この故事の由来は、次の通りだ。
《紀元前500年頃~紀元前465年、中国春秋時代後期の物語である。当時、長江流域では「呉」と「越」という二つの新興勢力が興っていた(「呉越同舟」などの語源も、これに関係している)
越国王の勾践は、呉国との戦いに負け会稽山に逃げた。そして、自分は呉王の夫差の家臣になるということで、恥を忍んで生きのびた。その後、越国に帰った勾践は動物の苦い胆を嘗めて、会稽での恥を忘れず呉王に復讐しようと心に決めたということから、この語ができた・・・》
あの前年『A中』との決勝戦。クロガミ、ドージマという2人の「怪物」を前に、戦う前から既に戦意を喪失していたような『B中』の醜態は、まさに越王・勾践が「会稽山に逃げた」姿とダブった。
その後、新しいメンバーでリベンジを果たすべく行った交流試合では、エースのドージマ1人に4得点を許すという、さらにこれ以上にない屈辱で「0-6」の完敗を喫した。恥の上塗りと悔しさで、悶々と眠れぬ日々を過ごしたイレブン。
(あれが真の才能か・・・もうサッカーなんて止めようか・・・)
と、真剣に悩んだ時期でもあった。
(あんな試合、やらなきゃよかった・・・余計に『A中』コンプが増幅されただけだ・・・)
と後悔の日々をおくりつつ、数ヵ月後には懲りずに再戦を申し込んだ。が、『A中』から来た返事は「メリットがない」という「非情な」ものだった。確かに地区王者『A中』には、対外試合の申し込みが多かっただけに、相手からすれば二度も圧勝している相手との再選などは『メリットがない』と考えるのは無理はない。とはいえ、地区内では兄弟校のような間柄だった『A中』から、前代未聞の「門前払い」を喰らうという、最大級の屈辱を味わわされることになる。皮肉なことに、ここに到ってようやく「廃人」と化しつつあった『B中』イレブンの甘えが消しとんで、ここに蘇生した!
臥薪嘗胆・・・「復讐のため、あらゆる苦労や悲しみに耐え忍ぶこと。成功を期待して、苦労に耐えること」
この故事の由来は、次の通りだ。
《紀元前6世紀末、呉王・闔閭は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷が元で病死した。闔閭は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した(臥薪・・・この記述は『史記』には存在せず『十八史略』で付け加わっている)出典Wikipedia
まもなく夫差は越に攻め込み、越王・勾践の軍を破った。勾践は、部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて越に帰国した後も民衆とともに富国強兵に励み、その一方で苦い動物の胆を嘗めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)
その間、強大化したことに奢った呉王・夫差は、覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた重臣の伍子胥を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王・勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件として王への復帰を認めなかったため、自殺した・・・》出典Wikipedia
さすがに今の時代だから、動物の胆を嘗めることはないとはいえ、それでもグラウンドの土や泥を毎日のように嘗め続けた。また、クロガミ&ドージマにいいようにやられ続けたディフェンス陣は、厳しいしごきに連日涙を流して耐えてきたばかりでなく、乾ききった汗が塩の結晶となって、目から口から涙と塩の苦味を噛み締めながら、歯を食いしばって耐えてきた1年間であった。
その後も、何度か断られ続けたが『A中』OBのガンゾー監督必死のツテで、どうにか再戦に漕ぎ着けると、ようやく死に物狂いの引き分けに持ち込んで、何とか面目を保った。
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