人生上においても、また芸術の上でも多くの体験を重ねることになったマンハイム・パリ旅行から、生まれ故郷の町ザルツブルクに帰ったモーツァルトは、主人である大司教に対して烈しい不満を抱きながらも、なお、1779年の初めから翌々年の夏にいたる2年半もの歳月を、大司教宮廷に仕える音楽家として過ごした。
この時期はまた、彼が旅行中に得た音楽体験を見事に結実させた、実り豊かな時期でもあった。たとえば1779年4月から翌年8月にかけて、モーツァルトは3曲の交響曲(ト長調K318、変ロ長調K319、ハ長調K338)を手がけているが、管弦楽のための作品はこれだけにとどまらない。
「2台のピアノのための協奏曲」変ホ長調K365=K316aを始めとして、「ディヴェルティメント」ニ長調K334(320b)や、さらに「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)」変ホ長調K364(320d)などの名品の姿がみられる。
セレナーデ「第9番」もまた、この時期に属する作品である。同じ時期に作曲された「パリ交響曲」K.297や協奏交響曲K.364に劣らぬ名作として知られている。なお「ポストホルン」のタイトルは、第6楽章の第2トリオでポストホルン(郵便馬車のホルン)が用いられていることから、この名で呼ばれている。
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