霊宝館入場料700円也(確か当時はそんなものだったと記憶)は随分高く感じた事もあり、そのまま引き返そうかとも考えたのだったが、結局は迷った末に
(折角来た事だし・・・)と入場する事に。広隆寺の場合、霊宝館以外は総て無料だから、そんなにメチャクチャな暴利と言うわけではないが「霊宝館だけで700円」というのが、イメージ的にはかなり高く感じた。
ともあれ霊宝館に入ったのだが、入った途端に
(やっぱり、入って良かった)
と思ったものである。
得てして「霊宝館」とは名ばかりで、実際はショボイのばかりが並んでいるケースに出くわして失望する事もあるが、これこそまさに「霊宝館」と呼ぶに相応しい。
中央の奥まったところに、お目当ての弥勒菩薩半跏思惟像があるのは容易に想像がつくが、そこに至るまでに次に紹介するような沢山の仏像が並んでいるため、腰を据えてじっくりと鑑賞していく事にした。
入り口のところでは「お守り」が3000円(確かに、そのくらいしていた)で売られているのを目にして
(なんとバカ高いお守りだ・・・)
と感じながら・・・
では、仏像のラインナップをご紹介していこう。まずは、入り口に最も近いところから
・増長天立像・・・インド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として南瑠璃埵(みなみるりた)に住み、南の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち南贍部洲(なんせんぶしゅう)を守護するとされる。また、鳩槃荼や薜茘多(餓鬼)といった眷属を配下とする。
・増長天立像・・・インド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として南瑠璃埵(みなみるりた)に住み、南の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち南贍部洲(なんせんぶしゅう)を守護するとされる。また、鳩槃荼や薜茘多(餓鬼)といった眷属を配下とする。
・十二神将像(総て国宝、木造彩色 114,2~123,0cm 藤原時代)・・・十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るという。そのため十二支が配当される。また、十二神将には、それぞれ本地(化身前の本来の姿)の如来・菩薩・明王がある。各神将が、それぞれ7千、総計8万4千の眷属夜叉を率い、それは人間の持つ煩悩の数に対応しているという。
・宮毘羅大将(くびら):子
・伐折羅大将(ばさら):丑
・迷企羅大将(めきら):寅
・安底羅大将(あんちら):卯
・頞爾羅大将(あにら):辰
・珊底羅大将(さんちら):巳
・因達羅大将(いんだら):午
・波夷羅大将(はいら):未
・摩虎羅大将(まこら):申
・真達羅大将(しんだら):酉
・招杜羅大将(しょうとら):戌
・毘羯羅大将(びから):亥
・広目天立像(四天王の一つ・重文・藤原時代)・・・広目天は四天王の一体、西方を護る守護神として造像されることが多い。仏堂内では本尊の向かって左後方に安置するのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1員として白銀埵(はくぎんた)に住み、西の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち西牛貨洲(さいごけしゅう)を守護するとされる。また、諸龍王や富単那(ふたんな、梵名: pūtana。子供の熱病を引き起こす病魔)を配下とする。
・不動明王坐像(重文、木造彩色74,4cm、平安時代)・・・密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王らと共に祀られる。
・不動明王坐像(重文、木造彩色74,4cm、平安時代)・・・密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王らと共に祀られる。
・聖徳太子十六才像(重文、鎌倉時代)
そして中央の最も奥まったところに、あの国宝第一号である弥勒菩薩半跏思惟像(木造(赤松)漆箔84,2cm、通称「宝冠弥勒」)が、台座の上に安置されていた。
(これがあの有名な、国宝第一号のアルカイックスマイルか・・・)
という感慨はあったものの、仏像そのものから受ける感動はそれほどなかったというのが正直なところだ。なにより張り巡らされたロープのまた遥か彼方にあるから、館内の薄暗さも手伝って細かいところまではハッキリと見えないのである。特別な台座に載っている分だけ一段と神々しい感じはあるものの、素人目にはどうしても大きいものや表情の派手なものの方が、どうしても印象に残りがちである。
この弥勒菩薩半跏思惟像の左側には、弥勒菩薩坐像(重文、塑像彩色83,7cm、平安時代)、そして右側に弥勒菩薩半跏思惟像(国宝、木造漆箔66,4㎝、白鳳時代)が脇を固めている。「宝冠弥勒」と同様のポーズをとる、像高はやや小さい半跏像である。朝鮮半島には現存しないクスノキ材製であるところから、7世紀末~8世紀初頭頃の日本製と見られるが、異説もある(沈鬱な表情で右手を頬に当てた様子が、泣いているように見える事から「泣き弥勒」の通称がある)を中心とした三体。その真後ろには、さらに大きな三体の仏像が並ぶ。
・不空羂策観音(国宝、木造彩色313,6cm、平安時代)・・・梵名アモーガパーシャ。「不空羂索観世音菩薩」が正式名。日本では「不空羂索観音菩薩」や、「不空羂索観世音菩薩」など様々な呼称がある。尊名の「不空」とは「むなしからず」、「羂索」は鳥獣等を捕らえる縄のこと。従って、不空羂索観音とは「心念不空の索をもって、あらゆる衆生をもれなく救済する観音」を意味する。

・十手観音坐像(重文、藤原時代、260cm)
・不空羂策観音(国宝、木造彩色313,6cm、平安時代)・・・梵名アモーガパーシャ。「不空羂索観世音菩薩」が正式名。日本では「不空羂索観音菩薩」や、「不空羂索観世音菩薩」など様々な呼称がある。尊名の「不空」とは「むなしからず」、「羂索」は鳥獣等を捕らえる縄のこと。従って、不空羂索観音とは「心念不空の索をもって、あらゆる衆生をもれなく救済する観音」を意味する。

・十手観音坐像(重文、藤原時代、260cm)
・十一面千手観音(国宝、木造 266,0cm 平安時代)・・・「サハスラブジャ」とは「千の手」あるいは「千の手を持つもの」の意味である。この名はヒンドゥー教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。六観音の一尊でもある。眷属として二十八部衆を従える。
「十一面千手観音」「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」「千手千臂(せんぴ)観音)」など様々な呼び方がある。
「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼を持つとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。
千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。千手観音像の中には十一面ではなく二十七面の作例もある。日本の文化財保護法による国宝、重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。
密教の曼荼羅では、観音像は「蓮華部」に分類されている。千手観音を「蓮華王」とも称するのは観音の王であるとの意味で、蓮華王院(京都市にある三十三間堂の正式名称)の名はこれに由来する。
出典Wikipedia
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