2004/02/08

広隆寺霊宝館(3)(夏の京part20)

毘沙門天立像(木造135,0cm 鎌倉時代)・・・仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。

日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天に並ぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。

吉祥天立像(木造彩色164,6 cm 藤原時代、木造彩色142,2 cm 平安時代、木造彩色 168,0 cm 平安時代、木造彩色 106,8 cm年代不明 四体総て重文)・・・仏教の守護神である天部の1つ。もとヒンドゥー教の女神であるラクシュミー(Lak)が仏教に取り入れられたもの。功徳天、宝蔵天女ともいう。

ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされる。 仏教においては、父は徳叉迦(とくさか)、母は鬼子母神であり、夫を毘沙門天とする。吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされる。また、美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の念(吉祥悔過・きちじょうけか)や五穀豊穣でも崇拝されている。

埋木地蔵菩薩・・・地蔵菩薩は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。サンスクリット語ではクシティガルバ(क्षितिघर्भ [Kitigarbha])と言う。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。

地蔵菩薩は忉利天に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、57600万年後か567000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる (六道能化〈ろくどうのうげ〉)

持国天立像(重文、四天王の一つ 藤原時代)・・・仏教における天部の仏神。増長天、広目天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。又は提頭頼吒とも称する。持国天は四天王の一体、東方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。

本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として東面の中腹である第四層の賢上城に住み、東の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち東勝身洲(とうしょうしんしゅう)を守護するとされる。

蔵王権現立像(重文、木造彩色96,4 cm 藤原時代と木造彩色100,4 cm 鎌倉時代の二体、1917年重文指定)・・・日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現、または金剛蔵王菩薩インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。

金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。

阿弥陀如来立像(重文、木造漆箔132,7cm 藤原時代)・・・大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ(अमिताभ, Amitābha)、あるいはアミターユス (अमितायुस्, Amitāyus)といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。

梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して無量光仏無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持ち(東方は薬師如来)、五智如来において西方に位置する観自在王如来と同一視するが、真言宗では阿弥陀が法蔵菩薩であったときに師事した仏として、別尊とする。

さらに弥勒菩薩坐像(重文、塑像彩色83,7cm 平安時代)、千手観音坐像(重文、木造漆箔 256,0cm 藤原時代)、菩薩立像(重文、木造彩色 99,3cm 平安時代)と続く様は、実に圧巻の一語に尽きる。仏像だけでも国宝17点、重文31点であり、しかも天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉と各時代に渡る国宝が安置されているのである。
出典 Wikipedia

 

こうして、心静かに鑑賞している時であった。

突然、ドカドカというドタ靴とサンダルのような安っぽい靴音を響かせて、明らかに場違いな茶髪のニーチャンと、頭の軽そうなネーサンのカップルがズカズカと入ってくるや、居並ぶ仏像群には脇目も振らずに中央の弥勒菩薩半跏思惟像へ向かって一目散・・・という感じで歩み寄ると、しばし立ち止まった。

「ふーん・・・」

と言ったきり、ものの10秒も経つか経たぬ内に

「お守り二つね・・・」

と、例の3000円也のバカ高いお守り二つを手にして大枚を支払うと再度、弥勒菩薩半跏思惟像を一瞥してからUターン。そのまま、またしても脇目も振らずに出て行った。

(なんじゃ、あれは?)

見た限り、このバカ高いお守りを買っている人は他にいなかったから、寺の方では下にも置かぬような丁重な扱いだった。女の方は多少、後ろ髪を惹かれるようなそぶりも見えたが、男の方はあたかも

(こんな抹香臭いところからは、一刻も早く出たくて溜まらんわい)

とでも言いたげな風情であった。

(これだけのものが並んでいると言うのに、なんと罰当たりなヤツめ・・・さぞかし寺の人も、心を痛めていることだろう・・・)

などと腹の中でせせら笑ってみたが、或いは入館時間1分そこそこで7000円以上を落としていったという事では、最高の拝観者だったのかもしれないが。

さて帰宅後・・・知り合いの寺社好きな女性に、このなんとなく印象深い出来事を聞かせてやると

「そりゃ多分、女にせがまれて男の方は興味がないのに、嫌々くっ付いて来たんじゃないの?」

などと決め付けておりましたが (c_,゚`)プッ

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