2004/02/06

賀茂と鴨


 京都を代表する「かもがわ」は、上流の「賀茂川」に対し、下鴨神社南の糺ノ森で高野川と合流したところからは「鴨川」と呼ばれる。この「賀茂」と「」の字の使い分けは川の名称だけではなく、神社の名前でも同様に見られる。上賀茂神社(賀茂別雷神社=かもわけいかづちじんじゃ) 、下鴨神社(賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ)。ここでも、2つの「かも」が使い分けられているのである。

「京都の謎」と云う本によれば《「カモ氏」の住む「カモ」と言う土地があり、それが時代の中で「賀茂」になったり「」になったりして来た》ということである。

元々、奈良県葛城の鴨族が移動して来て京都に鴨という地名が付き、鴨川となった。この鴨氏の名前から下鴨、上賀茂の地名が出来て、上賀茂神社の地域が「鴨」と記された。いずれにしても「kamuy:」から出た地名ではないか。 「u-i」などの二重母音は他の単母音に変わりやすく、カミ、カモなどに変化しやすく各地に各地にあります》

●ポリネシア語による解釈
《賀茂川は京都市北区雲ケ畑を源とし、鞍馬川を併せて京都盆地に入り高野川を合流して市街地の中を南下し、さらに南西に向きを変えて桂川に合流します。

賀茂」の由来について『山城国風土記』逸文は、神武天皇東遷の際道案内を務めた八咫烏の後裔、賀茂建角身命が大和の葛城から山代国の岡田の賀茂に移り、さらに葛野河(桂川)と賀茂河の合流点に至り、賀茂河を「狭小くあれども、石川の清(すみ)川なり」と言われたので「石川の瀬見の小川」といい、その川を遡って久我の山基に定まったので「賀茂」と言うとあります。京都市北区上賀茂本山に、賀茂別雷神社(上賀茂神社)が鎮座し、その南の賀茂川と高野川の合流点の糺ノ森の左京区下鴨泉川町に、賀茂御祖神社(下賀茂神社)が鎮座します。  

この「かも」は

(1)
 鳥の「鴨」にちなむとする説
(2)
 「カミ(上、神)」の転などの説

があります。

この「かも」は、賀茂族がかつて住んでいた岡田の賀茂の地の地形によるもので、マオリ語の「カモ」、KAMO(eyelash,eyelid)、「まぶた(のような地形の土地)」  または「カ・マウ」、KA-MAU(ka=take fire,be lighted;mau=fixed)、「定住した居住地」  の転訛と解します。

この賀茂川の異称である「石川の瀬見の小川」の「」、「瀬見」は、マオリ語の「イチ」、ITI(small)、「小さい(川)」、「テ・ミ」、TE-MI(te=the;mi=urine)、  「(土地が)尿をしているような(川)」 の転訛と解します。この「久我」は、マオリ語の「ク・(ン)ガ」、KU-NGA(ku=silent;nga=satisfied)、「静かでゆったりした(場所)」の転訛と解します。

この「賀茂」と「鴨」だけでも随分ややこしいところへ持ってきて、さらに「加茂」という名もが存在するから、余計にこんがらがってきます。《京都市内の真中を流れる川に加茂川、賀茂川があります。この地名は、高野川合流点から上流を賀茂川、下流を加茂川と使い分け(江戸時代)、「賀茂」、「加茂」、「鴨」と、その字を使ったようです。

※かつて存在した某Webサイトから引用
 <京都に行くと、いつも疑問に思うことがある。
いったい「鴨川」が正しいのか、「賀茂川」なのか?
どっちなんや、はっきりしてくれ!
と、いつも叫んでいる。

地図を見ると、今出川にかかる橋は「加茂大橋」で、これより上流を「賀茂川」と記し、下流を「鴨川」としている。上流の京都市北区の「葵祭」で知られる神社は「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」であり、糾森で知られている賀茂川と高野川が合流する地点に鎮座する左京区の方は「下鴨神社(賀茂御祖神社)」となっている。聞くと、どちらも正しいのだそうである。

「どちらも偉い神様でございまして、どちらが正しくて、どちらが間違っているという比較をすることすら畏れ多いことでございますのに、ましてどちらか片一方に統一すると、どちらかが正しくて、どちらかが間違っていることになりますので、とんでもないことで、神様からお怒りを被らないともかぎりませんので、上と下と両社ならびたって、都をお守りいただいているのです」

ということである。

だから、川は上賀茂神社が鎮座する上流の方を賀茂川とし、下鴨神社が鎮座する下流部の方を鴨川としているそうである。さらに話が複雑なのは、京都府南部に加茂町というのが存在することである。この加茂も、由来的には同じなのである。それらは、総て「「カモ」とは何を意味するか?」から始まっている。  結局は、総てが「カミ(神)」に辿り着く。身近な例で言えば、家の「カモイ」は上であると同時に神の宿るところを意味するし、アイヌ言葉の「カムイ」からきているようである。「カミ」とは「」であると同時に「」でもあることから、最初にその土地に入って開拓したものも意味するそうである。

日本の建国神話に神武東征があるが、その東征の先陣をつとめたのが賀茂建角身命とその一族で、大和の葛城から徐々に北にのぼっていき、木津川から現在の桂川と鴨川の合流点にのぼり、さらに現在の京都の中心部にあたるところまで進出して行ったことから、このカモ一族(加茂、賀茂、鴨)に因んで付いた地名だということである。昔は川を伝って他所の土地に移っていくことが多く、このカモ一族もそうで鳥の鴨が神に使いであるというのも、これによっている。神社の池に鴨が飼われているのは、こういう歴史的な由来からだそうである。

0 件のコメント:

コメントを投稿