2004/02/01

退蔵院庭園の美(夏の京part13)

 こうして思わぬ収穫にホクホクとしながら、続いてお目当ての「退蔵院庭園」へと向かった。47の塔頭を抱える妙心寺の中でも屈指の古刹と言われるのが、この退蔵院である。

<退蔵院は、京都市右京区花園にある臨済宗大本山妙心寺の塔頭である。初期水墨画の代表作である国宝・瓢鮎図(ひょうねんず)を所蔵することで知られる。

応永11(1404)に越前の豪族・波多野重通(はたのしげみち)が妙心寺第三世・無因宗因(むいんそういん)を開山として千本通松原に創建し、日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)により妙心寺山内に移される。一時期衰退するが、後奈良天皇の帰依が深かった亀年禅愉(きねんぜんゆ)により中興される。

方丈(重要文化財)
内部の襖絵は狩野光信の高弟であった狩野了慶の筆によるもので、桃山後期の優れた遺品とされる。(内部は通常非公開)

大玄関(重要文化財)

庭園
まず、入り口を入った両脇に「陰の庭」と「陽の庭」という二つの枯山水があり、白砂を使った通常の枯山水と黒っぽい砂を使った枯山水庭園に初めてお目にかかることとなり、早くも胸が踊った。

 


退蔵院の庭園は、全体の構図に絵画的な手法が感じられる方丈西庭。枯滝付近には小石を敷いて水を表現。大小の刈込と滝の石組が印象的な余香苑。

元信の庭
狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれている。絵画的な構成の枯山水の名庭

退蔵院本庭は画家・狩野元信作の小さな枯山水方丈庭園の方だが、なんといっても素晴らしいのはこの庭園から、垣根を隔てて築かれた回遊式庭園の「余香苑」である。

余香苑(よこうえん)
昭和38(1963)から3年の月日を費やして造園家の中根金作が作庭した昭和を代表する名園で、大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち、深山の大滝を見るような風情がある。

紙本墨画淡彩瓢鮎図(国宝)
室町水墨画の先駆者・如拙の作。如拙筆の確証がある数少ない作品の一つで、日本の初期水墨画の代表作の一つである。画面上部の序文により、室町幕府4代将軍足利義持の命で制作されたことがわかる。

つるつるの瓢箪でぬるぬるしたなまず(「鮎」は「なまず」の古字)を捕まえるにはどうすればよいかという、およそ不可能な問いかけを図示したものであり、禅の公案を絵画化したものである。現状、紙面の下半に絵があり、上半部には序文に続けて30名の禅僧による賛が書かれているが、当初は座屏(ついたて)の表裏に、それぞれ絵と賛を貼ったものであった。原品は京都国立博物館に寄託され、寺で見られるのは模写である。
出典 Wikipedia

 《余香苑は伝統的な造園手法を基盤とした、厳しさの中にも優雅さを含む昭和の名園と言えます。構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと奥行きが生まれます。



 深山幽谷を思わせる森木立の遠景と水の流れを配した山水式庭園、こうした構成によって庭園が広く見えることなどが例としてあげられます。巨岩の間より流れ落ちる竜王の滝は、深山の大滝をみる風情があります。また、一面の苔の緑が鮮やかです》

 (「つくばい」の下深くに瓶を伏せ込み、手水に使われた水が瓶に反響して琴の音のように聞こえる「水琴窟」(江戸時代に庭師が考案したといわれる日本庭園の巧妙な装置で、蹲踞の排水を利用して妙なる音を生み出したもので、明治から大正にかけて流行しました。

 構造は、そこに穴をあけた甕を逆さにして土の中に埋め込み、蹲踞を通じて穴から流れ込んで水が水滴となって甕の下に溜まった水の面に落ちる時、甕に反響する深く澄んだ妙音を楽しむものとなっています)
出典 http://kyoto-taxi.server-shared.com/index.html

 水琴窟の醸す音色が何とも心地良く、夏の真っ盛りながら日陰にてしばし暑さも忘れる爽やかさである。


 このスケール雄大な「余香苑」は、過去に見て来た京の名庭の中でも指折りのものと言えるだろうが、これと対を成す枯山水の「元信の庭」の方は退蔵院庭園の本庭とはいえ、どうしても印象が薄くなるのは致し方ないところか。

 ともあれ庭園マニアのワタクシとしては、充分に満足であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿