現場近くのレオパレスへの引越が完了し、当初契約通り夜間対応のシフトに組み込まれる事となった。この週と翌週の2週は、月曜から金曜まで先輩(といっても、半月くらい早く来ていただけだったが)のK氏に付いての最後の研修となり、これが終わると日曜夜から正規スタッフとして、単独で夜間の障害対応に当たらなければならないだけに、最も重要な期間である。
サーバの負荷がピークとなる夜間から深夜にかけては、様々な障害が発生する時間帯だけに、実地研修で現実の問題への対応を習得するには僅か2週間はあまりに短かったが、以前にも紹介したように欠員がボロボロと出てきている状況では、贅沢は言えない。
既に1ヶ月前から入っていた、先行部隊の3人の疲れはピークに近く
「1日も早く、シフトに組み入れてくれ~!」
とF某社員のプロジェクトリーダーは、皆から陰に陽にと突き上げられていたらしかった。
当然の事ながら、自分なりにも今後の障害にスムーズに対応するためには、研修期間中にありとあらゆるトラブルを経験し、K氏の対応振りをとくと勉強しておきたい立場であったが、皮肉なもので一向にトラブルの出る様子もなく、拍子抜けがしたものである。
ところで、このK氏は非常に無口な性格で無駄口を一切利かないタイプらしく、本来ならこちらは研修中の身なのだからあれこれと教えてくれても良さそうなものだが、こちらが黙っていると知らぬ顔を決め込んだまま勝手に自分の作業に没頭している。また何か話し掛けてみても、鈍い反応の末にボソボソとした口調でピント外れの返事が返ってくるのみだから、次第にお互いが押し黙ったままとなっていった。
現場には、各部署に夜間対応のスタッフがローテーションで4~5人詰めていたが、前にも触れたように殆んどが関西からの出向チームである。「Aプロジェクト」以外の他の部門は、いずれもプロジェクトの立ち上げ後2~3年を経過した運用フェーズに入っており、システムはすっかり安定していたから保守的な要員という位置付けだ。夜間に、トラブルが発生する事はあまりない気安さも手伝って、和気藹々とした関西ネタが飛び交う中で「Aプロジェクト」の我々2人だけが蚊帳の外といった気まずいムードで、押し黙ったまま重苦しい時を刻んでいた。
そうして、システム的には平穏のうちに1週目が過ぎ、2週目に入った。研修期間の夜の勤務は22時から翌朝9時が基本だが、その11時間の間にコンビニやスーパーで買ってきておいた弁当やおにぎりを食べる事くらいしか出来ず、そうした息の詰まるような時間が続くうち、次第にイライラるとともに募り焦りが生じてきた。
そうこうするうち、ようやく比較的大きなトラブルが起こった。これまで、ちょこちょこと出ていた小さなトラブルには無難に対応してきたK氏も、大きなトラブルにはクライアントのxxx社責任者への連絡の遅れた事から、非難を浴びる事になった。
「連絡に不備あり!
対応も遅い!」
早速、xxx社担当者から窓口となっているSEを通してクレームが入り、リモートで対応したSEのK氏の的確な対応でトラブル自体は最小限で食い止めはしたものの、翌日にはSEからプロジェクトリーダーを通して事情説明を求められ、シドロモドロに。改めてリーダーとK氏の遣り取りを聞いていても、チンプンカンプンだから
「結局のところ、どういった原因で障害が起こり、またどう対応すれば良かったのか?
その辺りを教えて下さい」
と、K氏に問うと
「どうって言っても・・・訊いてた通りなんやけど・・・」
「訊いてても、わからなかったから・・・わかるように説明してくれませんか?」
「説明ちゅうてもなぁ・・あれは特殊なケースやったし、説明したかてあんまし参考にならんちゃうんやないかな・・・?」
と、何故かノラリクラリと逃げてしまうのである。
「来週からは、私も一人で対応しなくちゃならないんですから、そういうのをちゃんと説明してくれないと困るんですがね・・・そのために、この2週間一緒のシフトに入っているんだから・・・」
「オレらもいきなりシフトに入れられたけど、今回見たいなのは例外でトラブルなんてそうは出ぇへんよ。オレも、今回くらいだモンなァ・・・まあトラブルちゅうのは、実際にその時になってみな対応なんて決って来ぉへんで」
といった遣り取りが何度かあったものの、いつもこんな具合で暖簾に腕押しだから次第に
(バカヤロー!
もう知るか)
と何が気に喰わぬか、この無愛想を絵に描いたようなオッサンには、一切質問をしないハラを決め込んだのだった。そうして、互いにソッポを向き合ったまま2週目の研修も終わり、いよいよ翌週から夜間対応となる。これまでは、何故か4人のスタッフのうちS氏の当番の時に限って障害が集中し、度重なる連絡の拙さといい加減な対応から、早々に「失格!」の烙印を押されていたが、残るK氏と現場リーダーのM氏の2人の時は大きな障害は殆んどなかっただけに、後は自らの幸運を祈るのみという心境であった。
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