2004/02/25

新展開(T社極秘プロジェクトpart1)

 新たな提案が齎されてきたのは、翌日の事である。あのCS社のY氏や、元請けとなっていた会社との電話によるドロ仕合にいたる間は、ひっそりりと鳴りを顰めていたF関係のFT社の担当女性営業から、ようやく回答が来た。

 「先日お話しましたT社さんの件ですが、問題となっていた時間の点については元請けと相談の結果、新たな案が出されましたので、是非一度ご検討願いたいと思います。
 
まず時間については、客先のX社さんに確認しましたところ、やはり『現行案通りで、変更はなし』とのことでした。となると先日検討した通り、にゃべさんの通勤に支障が出てきますが、先回ヒアリングの時に伺ったお話ではにゃべさんは引越しが可能だという事でしたので、当面しばらくの間は準備期間として当社でマンスリーマンションを借り受け、三ヶ月ほどのその費用は当社で負担させていただきます」

「ほお・・・」

 「ユーザーさんもF某社さんも、にゃべさんの経歴を見た上で是非とも、この人で・・・という経過でこのような案に落ち着きましたので、是非とも前向きに検討していただけますか?

 当社としましては、3ヶ月分の費用を余計に負担する事になりますので、にゃべさんが本当に今引っ越される気持ちがあるのか、また契約切れになる3ヶ月後には、にゃべさんの方で新たな住居を探され、家賃等も負担が掛かって来ることになりますが、そういう状況の中である程度の長期で、この仕事をやって行こうという強い意思があるのかどうか?

 当社のリスクをも考えますと、この2点を是非とも吟味された上で、もう一度確認しておきたいのですが・・・」

 「それは、結構じゃないですか・・・」

 「ありがとうございます。では早速、現場の近くの物件を探してみます。住居が決まったら、追って連絡します」

 という返事から3日と空かぬうちに、メールで回答が来た。

 それによると勤務地となる現場から、歩いて僅か10分程の立地にある《マンスリーレオパレス・フラット》の一室である。勤務は4月初めからだが、この物件の入居可能日が4月半ばからに設定されていたため、その辺りの事情を踏まえ現場での調整の結果、入居前の約半月間は研修期間に当て通勤可能な日勤帯のみの勤務で、最も重要な深夜の障害対応は研修期間を終える引っ越し後からと決った。

 こうして、最初のうちは自宅からの通勤が始まった。朝は9時からだが、通勤に2時間近く掛かるから7時くらいには家を出なければならず、終業は一応夕方6時だが研修中だから7時くらいにはなってしまい、家に着くのは9時が良い方だったから

 (こんな面倒なら、いっそ早く引っ越した方が良いな・・・)

 という気持ちだった。現場には何故か大阪からの出向組みが多く、各部署総勢で30人ほどの半数くらいを占める関西弁が部屋を支配しているようで、なんだか大昔の学生時代に帰ったような、ヘンな気分である。

 肝心の仕事の方は

 「(世界の)xxx」が極秘裏に進める、業界最先端Webコンテンツ技術の立ち上げプロジェクト

というだけに、話に訊いていたよりは難し気な内容だった。当初は「unixWindowsの混在環境ネットワークにおけるトラブルシューティング」がメインタスクと訊いていたものの、予想していた通りWindows系は少なく、Unixサーバがメインで、アプリに関しては開発会社から研修教育にきているSEの説明する内容が高度過ぎて、正直なところ良くわからない部分が少なくなかった。

 (これは・・・オレのunixの覚束ない知識で、果たしてこれからやっていけるのかどうか・・・)

 と不安になり、富士通某から出向してきている現場リーダーに疑問をぶつけると

 Cisco(米国シスコシステムズ社)技術者認定とMS(米国マイクロソフト社)認定プロフェッショナル、ネットワーク技術者・・・それだけの資格と知識があれば、まったく問題ないです。ボクなんか、ネットワークスペシャリストのショボイ一つしかないんですから・・・unixの開発及び環境系辺りは、これから覚えていただかないといけなくなるでしょうが、今のところ必要以上にunixとかLinuxというのを意識する必要はないかと・・・」

 同じ部署には、この現場リーダーの他に大阪からの出向組の40過ぎの中年2人と、もう一人は東京から出向してきている1歳上で、4人の中ではワタクシが一番年下であった(リーダーの富士通某社員が、最も若かったが・・・)

 そんなこんなで不安を抱えた見切り発車のままに、ひっそりと人里離れた現場で進行しつつある新プロジェクトのスタートに携わっていくことになった。

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