2004/02/04

アルカイック・スマイル(夏の京part16)

 この「弥勒菩薩半跏思惟像」は「アルカイックスマイルの傑作」として有名であるが、日本では「アルカイックスマイル」は通常「古拙の笑み」と訳される。元々「アルカイック」と言う言葉の語源は、フランス語のarcha que」(アーケイック)である。

《美術発展の初期の段階、特に紀元前七世紀半ばから紀元前五世紀初めにかけてのギリシャ美術についていう。生硬・峻厳・素朴・生命力の逞しさなどを、その様式的特色とする》

《古拙の微笑。ギリシャの初期の彫刻に特有の表情。唇の両端がやや上向きになり、微笑を浮かべたように見える。中国の六朝(りくちよう)時代や、日本の飛鳥(あすか)時代の仏像にみられる同じ表情をも指す。アーケイック-スマイル》

と解釈される。

しかしながら、これはあくまでも語義的な解釈であり、古拙の笑みについては松本清張などが詳しく書いていた。若い頃、松本清張の「古拙の笑み」とかいう中編を読んだ時には、この「アルカイックスマイル」の解釈が延々と記述してあり、興味のなかった当時だけに最初は辟易したものの、巨匠の筆致に次第に惹き込まれていったのを憶えているが、それらの専門的な話は興味のない人たちには退屈だろうから、ここでは触れない。

要約すると、こういう事らしい。

《「アルカイック」の語源である「アルカイオス」は「原初の(古い)」という意である。「アルカイコス」は「古風な」を意味する。

「アルカイック期」は、ギリシア美術史上の一時期。何年ころから始まるとするかについては諸説があるが、前8世紀から前480年ころまでの時期を指すものとする。それに続く、美術史上の「古典(クラシック)」期と対比・区別される。

「アルカイック」という言葉は、ギリシア語で「古い」を意味する「archaios(アルカイオス)」に由来し、古代ギリシアの歴史において古典時代よりも前の時代を表す。この時代は、一般に紀元前8世紀から紀元前5世紀初頭まで、具体的な出来事としては、紀元前776年の古代オリンピックの基礎の成立からペルシア戦争中・紀元前480年のクセルクセス1世の侵略までとされる。

アルカイック期は長い間、古典時代に比べて重要でなく、その前兆として研究されてきたが、近年では、アルカイック期自体について研究されるようになった。このようなアルカイック期に対する再評価に伴って、一部の研究者は「アルカイック」という用語には、英語において「旧式の」「時代遅れの」という意味が含まれることから異を唱えている。しかし、それに代わる用語が流布していないため、未だ「アルカイック」という語が使われ続けている。
出典 Wikipedia

この時期の彫刻には等身大あるいはそれ以上の大きさの、一般にクーロス(“青年”あるいは“少年”の意)と呼ばれる裸体の男性立像が現れる。両腕を垂れ左足を半歩前に踏み出し、唇の形のせいか僅かに微笑しているような表情を示す。

また、アテナイのアクロポリスの旧神殿(ペルシア軍によって破壊される以前のもの)に奉納されたコレー(「少女」の意)像にも、同じような表情がみられる。このような表情を「アルカイックスマイル」と呼んでいる》

 <飛鳥時代を代表する、二体の半跏像。京都広隆寺の弥勒菩薩像、奈良・中宮寺の伝如意輪観音像。光背の有無を除けばほぼ同じポーズで、かすかに微笑んだ表情まで共通している。世界に誇れる、圧倒的美しさの半跏思惟像だ。


 
 私はついこの間まで、双方とも弥勒菩薩像だと思っていた。そう書いてある書物も多いし、写真を見ても疑いを持つ方は殆どおられないだろう。ところがある日、仏像について調べていたところ、気になる記述があった。

 中宮寺の仏様は、伝如意輪観音像だというのだ。『仏像の見分け方』という本に、このような記述がある。

中宮寺の伝如意輪観音は手が二本だが、平安時代前期に作られた観心寺の如意輪観音には、手が六本ある。その理由は?

 この問いに対して、中宮寺の像は観心寺の六手のうち、思惟の右手と地を指す左手を本性として作られたのです、と答えている。

 また『日本の仏像』には、次のような記述がある。頬に当てられている右手の細くたおやかな指先は色っぽく、官能的といえるほどしなやかな表現を与えている。ぼくはこの観音像くらい女、それも豊かな母性を感じさせる仏像を他に知らない。



 確かに、この面差しはどう見たって女性のものだし、同時代に作られた法隆寺の百済観音像と比べても、圧倒的に魅力的な表情をしている>

 <私は法隆寺、中宮寺と続けて参拝し、二体の観音像を拝んで来た。百済観音像にはどこか異国の雰囲気を感じたのだが、中宮寺の半跏像には(日本の)理想の女性に巡り合った気がした。この半跏像を手がけた仏師も、同じ気持ちだったんじゃないのかな。

 仏教伝来間もない事もあり、これほど完成度の高い仏像は朝鮮、中国から来た仏師の手になるものだろうと思う。特に広隆寺の弥勒菩薩は、どこか西域風の顔立ちに思えるのは、すこし吊り上がった眼差しのせいだろうか?



 『日本の仏像』には、この菩薩像について朝鮮三国時代、または飛鳥時代との記述がある。この仏像は、朝鮮のアカマツ材を使って一木造りで彫られている。 ちょっと前傾姿勢なのは、原木が少し曲がっていたためらしい。そういう木を使った理由としては、この木が霊木・神木とされた貴重なものだったからであろう。

 明治維新後の廃仏毀釈で、広隆寺は見る影もなく荒れ果て、乞食の棲みかとなっていた事もあるらしい。この仏像もかなり傷んでいたらしいが、明治中期に修復され今に至っている。外国に持ち去られたり、薪にされなくて幸いであった>

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