<第1楽章の動機が管楽器で繰り返され、全楽章の統一を意識している。第2楽章との連絡に活用している点に、作曲者の大家としての技術が光る。4分の3拍子で、堂々と律動的な第1主題。イ長調の華やかな曲想が「作曲技術に凝りすぎだ」という批判を和らげている。管弦楽とピアノが、時にオブリガート(独奏または独唱部の効果を高めるため、伴奏楽器で奏される主旋律と相競うように奏される助奏)を互いに務めるという凝った構成で、終結はピアノのトッカータ的演奏と、打楽器とが曲想を盛り上げる>
※Wikipedia引用
元々、第1楽章のみ別の意図で作曲された曲に、後から2、3楽章をつけた構成であるが、個人的には第2楽章の幻想的な美しさも捨てがたい。が、なんといっても秀逸なのは、最終楽章の終結部だ。特に、ラストの3分あたりからのピアノの聴かせどころは、恐らくはシューマンにしか書けないような幻想味に溢れている。
かつてはベートーヴェンや、チャイコフスキー、グリーグ、ラフマニノフら、他の「四大ピアノ協奏曲」の中では、最も魅力を感じなかったこの曲だが、次第にシューマンの「滋味」が、わかるようになってきた気がする。特にこの最終楽章は、ピアノの魅力を余すところなく伝えている。
この曲の初演は、妻クララのピアノ・ソロ、さらには友人のメンデルスゾーンが指揮という超豪華キャストで実現し
「オーケストラを従えて、まるで女王様になったような、素晴らしい最高の気分でした」
と美しく才能豊かな若妻は、ご満悦だったことは言うまでもない。
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