2004/01/16

ドヴォルザーク チェロ協奏曲(第1楽章)



 主役のチェロ登場までに、たっぷり4分かかるw
  
 チェロと言えばヴァイオリンの蔭に隠れた地味な存在だけに、星の数ほどもある「ヴァイオリン協奏曲」などとは比較にならないくらいに、その作品は少ない。かのベートーヴェンだけでなく、あれだけあらゆる楽器の曲を書いた感のあるモーツァルトすらチェロ協奏曲は書いていない。というよりは、不思議なことにモーツァルトはチェロが嫌いだったのか、チェロの作品自体がないのである。

 そのほかチャイコフスキーやメンデルスゾーンなども、チェロ協奏曲とは無縁である。有名どころではハイドン、シューマンなどが書いており、これらは「三大チェロ協奏曲」として知られる。そんな中にあって「メロディの王様」ドヴォルザークのチェロ協奏曲こそは「チェロ協奏曲の王様」と称されている。

交響曲第9番『新世界より』や弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』と並ぶドヴォルザークの代表作の一つであり、一部愛好家には「ドヴォルザークのコンチェルト(協奏曲)」を略した「ドヴォコン」の愛称で親しまれている。ドヴォルザークには、この作品の他にもピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲が存在するが、その認知度において大きな差があるため「ドヴォコン」の愛称は一義にこの作品を指す。チェロ協奏曲の中で最も有名な作品の一つで、チェロ奏者にとって最も重要なレパートリーである。なお、ドヴォルザークには、この曲の他習作時代(1865年)のチェロ協奏曲(イ長調、B.10)があるが、こちらはオーケストレーションも完成していない未完成作品で、演奏される機会は殆どない。

 この協奏曲はアメリカ時代の終わり、チェコへの帰国直前に書かれた作品で、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品として名高い(これについて、芥川也寸志は「史上類をみない混血美人」という言葉を贈っている(『音楽を愛する人に』1971年)

この作品の主題が、先住民インディアンや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説があるが、これについては作曲者自身が友人のオスカール・ネダブルに宛てて1900年に書いた手紙の中で明快に否定しており、その後の研究でもそのような歌謡は見つかっていない。アメリカ時代に黒人歌謡を研究したドヴォルザークと言うと、反射的に「黒人歌謡の焼き直し」と決めつける愚か者がいるが、そのような事実はなく、これはドヴォルザークに対する名誉棄損である。

こうした誤解は、この作品がいかに親しみやすい旋律に満ちているかを物語る証左であるが、それと同時に独奏チェロの技巧性を際だたせる場面にも富んでいる。  また、低音の金管楽器を巧みに用いることで、シンフォニックかつ柔らかな充実した響きをもたらすことにも成功している。  

協奏曲には異例なほどオーケストラが活躍する曲であり、特に木管楽器のソロは素晴らしい。さらには主題操作の妙や確かな構成と、協奏曲に求められる大衆性と芸術性を高度に融合させた傑作である

この作品を知ったブラームスは、かつて親しいドヴォルザークの家を訪ねた折、ゴミ箱に捨てられた皺皺の楽譜を伸ばして

「ドヴォルザークのゴミ箱から、いくつもの名曲が書けるのに!」

と嘆いたのは有名だが、このチェロ協奏曲についても

「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」

と嘆息したと伝えられる(ブラームスにしては、陳腐なセリフだがw)

交響曲第9番『新世界より』同様「メロディの王様」の面目躍如という作品である。
※Wikipedia引用

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