2004/01/21

朝青龍は「第二の北尾(双羽黒)」になる!

 2003年の暮れに、横綱朝青龍が所属部屋の先代親方の通夜をすっぽかし、故郷のモンゴルに無断で帰国していたという、前代未聞の「事件」が明らかになりました。朝青龍は、これまでにもケンカ紛いの相撲内容そのものや土俵態度の悪さ、或いは先輩力士に対する礼儀を欠いた振る舞いから、同郷の先輩との確執など、繰り返し何度にも渡りその言動が問題視されてきたのは、好角家の方々なら既にご存じの通りです。これまでは、異国からやってきて日が浅い身でもあり、なによりまだ20歳そこそこという生意気盛りの年齢から見ても「若気の至り」と幾らかは大目に見ることも出来ましたが、既にそれから日本にも角界にも馴染むには充分の年月を重ね、今や最高位の横綱にまで上り詰めた点に照らしても、最早そのような甘えは許されない立場にあります。

そもそも、ワタクシのように幼い時から30年近く相撲を観てきている好角家にとっては、あの時点で朝青龍を横綱に昇進させるのは、明らかに時期尚早であり甚だ納得のいかない思いでした。それは単に、成績だけを見ても物足りないものを感じましたし、また「品格力量ともに抜群」という規定に照らし合わせるなら、まったくオハナシにもならなかったはずなのが、この朝青龍であったはずです。しかしながら、言うまでもなく幾ら素人のワタクシなどが、口を極めて猛反対したところでどうなるものでもなく、相撲協会やら横綱審議委員会(横審)といった閉塞空間の中での衆議一決によって決められてしまうのが相撲界のシキタリであり、また昔からそういった制度になっているからには、外部の者の反対の意思表示などは屁のツッパリにもなりません。それならば腹の中では反対を唱えつつも、一方では横綱に昇進してしまったものであれば、その地位に相応しい「品格と力量」を早々に備えていただきたいものだ、と構えるのが大人の態度と言うものでしょう。

ところが、その矢先に起きた冒頭の常軌を逸した振る舞いでしたから、当然の事ながらこの行為は大きく問題視され、帰国してきた朝青龍は涙を流して反省の姿を見せていましたが、ワタクシは最初から

(あんなの芝居だろ〜!
アイツが反省なんてするハズはない・・・)

と決め付けていましたが、案の定その決め付けはズバリと的を射ていました。

 確かに、このところの朝青龍の実力は横綱に相応しいと言えるだけのものを徐々に備えてきてはいますし、またあの身体能力や運動能力からも、豊かな将来性は充分に伺う事が出来ます。

思い起こせば、かつて第60代横綱に北尾(双羽黒)という、とてつもないスケールの大きな力士がいました。2mという長身と柔らかい身体は、まるで相撲を取る為に生まれてきたかと思えるほどに、誰もが認めるずば抜けた逸材でした。ちょうど全盛期だった千代の富士を、僅か数発で土俵の外に突き出し「黒船襲来!」と恐れられた、200kgを優に超える怪物・小錦が台頭して来たのと同じ時期でした。白光りするほどに色白の肌と、常に薄っすらと微笑を浮かべた観音様のような優しい顔立ちをしていた北尾でしたが、ひとたび彼がその本領を発揮すれば「幻の大技」と言われる「サバ折り」で、力任せにこの怪物を捻じ伏せて土俵に這わせ、後に事実上の再起不能となる膝の骨折に追い込んだ事からもわかるように、その底力は朝青龍辺りの比ではなかった事でしょう。この北尾は大関まで一度も優勝経験のないままに、その大きな将来性を買われ横綱に祭り上げられたのみならず、部屋の歴史に残る由緒ある四股名「双葉山」と「羽黒山」の名を取って「双羽黒」と命名されたことからも、その並々ならぬ周囲の期待の大きさが、わかろうかというものでした。

ところが、それだけ稀に見る素質には恵まれながら、そのパーソナリティには大いに問題がありました。弟子イジメは日常茶飯事で、付け人をダーツの的にして遊んだり、また稽古をサボってはパソコンに熱中したりという奇矯な振る舞いが、散々マスコミを賑わせた挙句、遂にはメシ(ちゃんこ)が不味い!」  とかクダラヌ事で口論となった親方夫人(おかみさん)を殴りつけて行方を晦ますという暴挙に及んだのでした。こうして24歳という若さで、末は大鵬、北の湖をも凌ぐかと将来を嘱望されながらも、遂に一度として賜杯を抱くことのないままという、横綱としては前代未聞の醜態を晒した末に廃業に追い込まれた事は、好角家ならずともご存じのところでしょう。

 ワタクシは朝青龍を見る度に、あの北尾を思い出さずにはいられません。  大相撲はスポーツや格闘技ではなく「国技」です。それだけに他のスポーツや格闘技のように、単純に強さばかりが求められるというわかりやすい世界ではなく、横綱ともなれば強さとともに「品格」といった難しい要素が要求されるという、極めて特殊な世界です。子供の頃から狼を追いかけながら、毎日モンゴルの大草原を走り回っていたといわれる朝青龍は、ズバリ言ってしまえば良くも悪くも野生動物に近い存在だと見ることが出来ますし、礼儀社会の日本にあっても格別シキタリの類の多い角界に馴染んでいくのは、最早殆んど不可能に近い至難の業とも言えるでしょう。

かつて小錦や曙、武蔵丸といった「ハワイ旋風」が巻き起こり、向こうを張ったあるオツムの弱い親方が、未開のアフリカの奥地へ金の卵を物色に行きました。そこには身体つきから身体能力に至るまで、人間離れのした野獣のようなタマがゴロゴロいて、その場で連れて帰ろうものなら忽ち横綱千代の富士にも勝ってしまいそうに思われたがために、さすがに国技に混乱を招くのを恐れて連れて帰るのを躊躇った、などという笑えないエピソードもありました。こと強さと言う点だけなら、モンゴルにも朝青龍クラスは案外、ゴロゴロいそうにも思えます。

しかしながら何度も繰り返すように、強いだけではダメなのが大相撲の横綱という地位であり、ただ強いだけで立派な品格とは程遠いデタラメな人間性にしか見えない朝青龍は、どう見てもプロレス向きのキャラクターと言えます。今後も、相次ぐ土俵外の脱線によって「第二の北尾」となる日はそう遠い事ではないものとワタクシは前々から密かに睨んでいましたが、さてどうなることやら ┓(´_`)

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