2004/01/28

西本願寺(夏の京part9)

灯台下暗しという事では、前回紹介した『東寺』と同様、これまで気になっていながら、まだ足を運んでいなかったのが『西本願寺』である。

<西本願寺は、京都府京都市下京区にある浄土真宗本願寺派本山の寺院。正式の寺号は本願寺。山号は龍谷山。同じ下京区内にある東本願寺(正式名称は真宗本廟)と区別するために「西本願寺」「お西さん」などと呼ばれることが多い。

宗祖親鸞聖人入滅後、末娘の覚信尼が1272年(文永9年)に現在の京都市東山区林下町(知恩院塔頭・崇泰院付近)に廟堂を営み、遺骨を安置したのが本願寺の発祥とされる。その後、廟堂は内紛のため破壊されたが、3代覚如が再建して専修寺と号し、さらに本願寺と改称した。その後、各地に寺基を移転、1591年(天正19年)、豊臣秀吉により寺地の寄進を受け、天満にあった寺基より現在の堀川六条に移転する。廟堂は江戸時代初頭、東山五条坂西大谷に移り現在の「大谷本廟」となっている。

11代顕如の子教如が、徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられ、1602年に本願寺が東西に分かれた際、教如が開いた寺を東本願寺と呼んだため、それまでの本願寺は西本願寺と通称されるようになった。

幕末期には、京都を守る剣客集団新選組の本拠地ともなっている。現在まで境内地に大きな変化は無いが、1876年(明治9年)に真宗興正派が独立した際に南境内地を割譲。近年、境内地北側の旧本圀寺跡地(日蓮宗大本山、山科区に移転)を購入している。本願寺の寺基自体は400年以上に渡り移転していない。

文化財
境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が多く残されており、境内が史跡に指定されている。また、平成6年(1994年)12月には、古都京都の文化財の一部として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建物の配置と構造は真宗建築の典型で、親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が本堂(阿弥陀堂)よりも大きく造られている。寛永13年(1636年)に建立された御影堂は、現在「寛政の大修復」寛政12年(1800年)以来2回目の「平成大修復」(1999 - 200812月)を行っている。>


<浄土真宗本願寺派の本山。親鸞上人の廟を東山大谷に建てたのが始まりで、1591年(天正19)豊臣秀吉の寄進により現在地に移った。 

1617年(元和3)の火災で諸堂を焼失したが、伏見城や聚楽第から秀吉ゆかりの建造物が移築され、華麗な桃山文化を偲ばせる。 

御影堂(重要文化財)には、親鸞聖人の荼毘[だび]の灰を漆にまぜて塗ったと伝えられる坐像を安置するが、現在堂を修理中。

天井や障壁画の絢爛な装飾で知られる書院(国宝)には、203畳の対面所、虎渓[こけい]の庭(史跡・特別名勝)、1581年(天正9)建立の日本最古の能舞台(国宝)がある>

 京都駅を出発して東山の観光コースをバスで廻ると、最初に掠めていく七条烏丸通沿いの東本願寺の方は「京都三大門」といわれる山門が否が応にも目に付く事から何度か門を潜って来ていたのに対し、駅から近いとはいえ歩いていくには微妙な中途半端な距離感が障害になって『西本願寺』の方は、これまでのスケジュールからはスッポリと抜け落ちていたのだった。

 京の人々が「本願寺さん」と言えばこの西本願寺の事で、東本願寺は「おひがしさん」と言う事からもわかる通り、こちらの方が総本山となる。

 元々、金閣・銀閣とともに「京都三閣」に列せられる「飛雲閣」(国宝)を始め、日本最古の能舞台(国宝)がある虎渓[こけい]の庭(史跡・特別名勝)、天井や障壁画の絢爛な装飾と203畳の対面所で知られる書院(国宝)といった見どころは総て非公開であり、肝心の御影堂(重要文化財)も修復中とあって、どうにもタイミングが悪かった。

 北小路通に面して建つ四脚門で別名を勅使門ともいう唐門は、桃山時代の唐門の中では代表的なものと言われる。

 <桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き・唐破風の四脚門で、伏見城の遺構。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れる事から ”日暮らし門” とも呼ばれています>


 建築細部の彫刻を眺めていると日の暮れるのも忘れる、といわれるところから「日暮門」とも呼ばれるというのは日光東照宮と同じだが、こちらに関してはそれほど大した事はなく正直、期待ほどではない気がした。

 実際的には大変な寺院だろうと言う感じはあるものの、何しろこれだけ見える部分が少な過ぎては、やはり消化不良の感は否めないしかない。建築物の外観の迫力は、東本願寺の方が遥かに勝っているだろう。

 かつて、京都旅行行きを計画していた頃に「YAHOO!掲示板」に立てていた「京のおもろい地名」という板の常連の京都在住の人から「飛雲閣特別公開」というビッグニュースを教えられ、ネットで京都新聞を検索した末にダメ元とは思いつつも電話を入れてみると、ナント数日の間に1年くらい先まで既に予約が埋まっていたのだった。死ぬまでに一度は観ておきたいが、果たしてそんなチャンスがあるかどうか・・・

<金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第の一部で、三層からなる楼閣(ろうかく)建築ですが、第一層が入母屋と唐破風を配しているように左右対照になっており、不規則ながら巧みに調和されています>
出典http://www.hongwanji.or.jp/hongwanji/guide01.html


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