2004/01/27

「女心の歌」 ~ ヴェルディ オペラ『リゴレット』




ピアーヴェは、国王フランソワ1世をその時代の単なる一貴族に変更する、トゥリボレットを不具な者としない、などいくつかの改変を施した別稿『ヴァンドーム公爵』(Il Duca di Vendomeを作成、それがヴェネツィアの検閲当局を満足させることを確認の上、ブッセートのヴェルディに送付した。しかし今度は、ヴェルディが納得しなかった。彼は、好色な君主が放恣の限りを尽くすこと、道化師に醜悪な外見と誇り高い内面の二面性があることに価値を見出していたからである。ヴェルディの返答を受けて、ピアーヴェ、マルザーリらは改めて精力的に当局と折衝し「物語の場所と時代を変更すること」を唯一の許可条件とするまでの譲歩を引き出した。

このようにして18501230日、ヴェルディ、ピアーヴェとフェニーチェ座は「改変についての覚書」に署名した。その内容は、以下の6項目である。

1.物語の設定は、王政下のフランスでなく、独立領主支配下のブルゴーニュあるいはノルマンディー、さもなければイタリアの適切な独立領主の小国とすること

2.
ユーゴー原作『王は愉しむ』の主要登場人物の外見と性格は維持されるが、名前は変更する

3.
貞操を守ろうと部屋に逃げ込んだ娘ブランシュを追うフランソワ王が、部屋の合鍵をポケットから取り出して笑う、という場面は削除する

4.
王(ないしは、1で改変された場所次第では領主)は、娼婦の誘いに応じて居酒屋に入るのではなく、おびき出されるとする

5.
殺し屋から袋詰め死体を受け取る場面は、そのまま用いる

6.
これらの改変に日時を要することを考慮して、作品初演は1851228日以降に延期する

ヴェルディは、この覚書の条件に従って必要な改変を進めた。

3幕の公爵のカンツォーネ『女心の歌』は、ヴェルディ自身も自信作と考えていたらしく、その秘匿に努めた。リハーサルへの一般人の出入りや盗み聴きを禁じたとも、初演の公爵役テノール、ラファエッレ・ミラーテに個人レッスンでのみこの曲を教えたとも、あるいはオーケストラ演奏者や共演声楽家には、初演の数時間前になって初めて公開したなどとも伝えられ、諸説紛々としている。また、こういった秘匿の努力にもかかわらず、初演終演後にはヴェネツィアの街の通行人、ゴンドラの漕ぎ手の大多数がこの歌を口ずさんでいたともいう。これらイタリア人にありがちな、大げさな逸話の真偽はさておき『女心の歌』は現在でも、テノール歌手にとって最も有名なショー・ピースの一つであることは疑いようがない。
※Wikipedia引用

【日本語訳】

風に舞う羽根のように、女は気まぐれ。
言葉も思いも、すぐに変えてしまう。
いつも愛らしく優しげなあの顔で、
泣いたり笑ったりするのも、みな偽りなのさ。

いつも哀れなのは、女に注意しないで、
信じる者、心を捧げる者。
とはいえ、女の胸の情けを知らない奴には
本当の幸せなんてものは、分からないのさ!

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