醍醐寺(初日)、二条城(二日目)という柱が決まった事でスムーズにプランが立てられたこの年の旅行計画だったが、三日目をどこにするかで悩んだ挙句、JRの「そうだ、京都行こう」キャンペーンで採り上げられ、かねてより目を付けていた「勝持寺」を選択した。
前日は京都に宿が見つからず、新大阪の「メルパルクOSAKA」に宿泊する羽目になったが、京都のショボイビジホとは違い快適に過ごす事が出来たのは怪我の功名だ。偶々キャンペーン期間に当たり、本来は別料金を取られる「大浴場無料利用券」を貰う事が出来、ジェットバスやサウナを1時間ほどかけてしっかりと堪能したのである。
スッキリした体で三日目のこの日は、新大阪から京都市の外れに位置する大原野へと移動する。JRの向日という辺鄙な(?)駅で下車し、さらに阪急バスに25分乗車して南春日町というバス停で下車。10分ほど歩いた末に、ようやく「勝持寺」への道標が見えてきた。
「勝持寺」までの道の途中に「正法寺」という寺院がある。枝垂桜で有名なこの「正法寺」は、また鳥や動物に見立てた石組みを配した庭やうさぎやペンギンを模した石組などのある「鳥獣の石庭」も有名である。
石庭を充分に堪能した後、大原野神社に移動。
<延暦3年(784年)に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、桓武天皇の后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのに始まる。嘉祥3年(850年)、藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が社殿を造営した。奈良春日社と同じ藤原氏の氏神を祀る大原野神社はそれに準ずる扱いを受け、二十二社に列した。明治4年に官幣中社に列した。
藤原氏の家に女の子が生まれると、その子が皇后・中宮になれるようにと当社に祈願し、祈願通りになると行列を整えて当社に参詣することが通例となっていた。貞観18年(876年)、清和天皇の女御となった藤原高子(二条の后)が当社に参詣した際、右近衛権中将で高子のかつての恋人であった在原業平がその行幸につき従い、「大原や小塩の山もけふこそは
神世のことも思出づらめ」と詠んだ>出典Wikipedia
とある通り京都でも指折りの由緒ある寺院であり、また桜の名所としても名高い大原野神社は京都本の「桜の名所特集」などには必ず採り上げられる常連だ。それだけに大いに期待して行ったものだったが、その期待感は残念ながら見事に裏切られた。
花自体が非常に少ない上に、どれもこれも元気がないのである。
(いつも本や雑誌に出ている、あの写真はなんだったのか?)
と、拍子抜けがしたのは否めない。誰もいない鬱蒼とした本殿のグルリを周回していると、縁の下のほうからなにやらガサゴソと音が聞こえて来た。
(野良か・・・?)と音のほうを覗き込むと、縁の下で弁当を広げてパクついているオバサン連中が、野良猫のような眼差しでこちらを見ていた (;一一) ジロー
この日の最後は、お目当ての勝持寺である。
春、約450本の桜が咲き乱れ「花の寺」とも呼ばれているこのお寺は
《白鳳8年(西暦679年)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦10年(西暦791年)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされました。承和5年(西暦838年)仁明天皇の勅によって塔頭49院を建立されましたが、応仁の兵火に遭い、仁王門を除きすべて焼失しました。現在の建物は乱後に再建されたものであります。》
という、大変に由緒ある寺院である。
市内だけでも大小1200もの寺社があるといわれる京都にあっては、立地的には最も外れの方に位置するという関係からか知名度はもう一つではあるが、なかなかに品の良い寺院である。
≪平安末期の僧・西行法師はこの寺で出家し、庵を結び桜を愛でました。世にいう、西行庵・西行桜です》
と言われる由緒のある西行桜を中心に、桜の花そのものは見事なものだったが、残念ながら天候に恵まれなかった事も手伝って、初日の醍醐寺や2日目の二条城などに比べては、遥かに影が薄れてしまった。
この年の旅行の最終日となる翌日の吉野行きに備え、この日は昼過ぎには早々に京都観光を切り上げ、西春日のバス停から向日駅から京都駅へ出て、近鉄に乗り換えると橿原神宮前までという長い道のりを行く事になった。少しでも吉野に近いホテルをとの考えから、奈良市ではなく橿原市のホテルを予約しておいたが、正直
(大丈夫かいな・・・?)
という一抹の不安はあったが案の定、到着した橿原市の某ホテルは昔の映画にでも出て来そうな、時代掛かった木製のカウンターを使ったフロントで、受付には60過ぎのジイサンが・・・しかも1階がバーのようになっており、バンドの演奏が煩い中を熊男のような髯もじゃの、薄汚いカメラマンとオボシキ2人連れがモタモタしていて
(やっぱ、こんなところに泊まるんじゃなかったかいな・・・?)
と、早くも嫌な予感が漂い始めたのだった。
以前にも何度か触れて来たように、学生時代は京都を中心とした名所へ花見に繰り出したものである。円山公園、平安神宮、岡崎公園、八坂神社、嵐山、平野神社、御苑、また大阪城公園、中之島公園にも足を伸ばした。これらの中では、ガールフレンドとのデートを兼ねた目的のものが圧倒的だったが、一度「吉野の花見」を計画した事がある。
「そういや『吉野の花見』っていやー、有名だよな・・・」
「行く?」
「遠いんだろ?」
「近くはないけど、そんなにメチャクチャ遠いってわけでもないでしょ?」
とトントン拍子に話が進み、愛車のスカGで行く計画までは運んだのだったが、直前になって彼女の方に予定が入り、結局は実現しなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿