2004/01/25

ヴェルディ オペラ『リゴレット』 「あれかこれか」(第1幕 第1場)



1幕 第1場『あれかこれか』
幕が開くと公爵邸の大広間。舞踏会が催され、舞台裏のバンドが賑やかに音楽を奏でている。マントヴァ公爵は最近、日曜日の度に教会で見かける美しく若い娘のことが気になっているが、まずはチェプラーノ伯爵夫人を今夜の獲物と定め、次から次へと女性を手玉に取る愉しみを軽快なバッラータ『あれかこれか』(Questa o quellaで歌う。

『リゴレット』」(Rigoletto)はジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全3幕からなるオペラで、1851年にヴェネツィア・フェニーチェ座で初演された。ヴェルディ中期の傑作とされる。ヴェルディはヴェネツィアのフェニーチェ座のために、新作オペラを作曲するという契約を18504月に同劇場と結んだ。初演は翌年1851年のカーニヴァルの時季とされたので、残された期日はほぼ10か月。当時の一般的なオペラ作曲システムに従い、彼のパートナーとなるのは依頼主フェニーチェ座の座付台本作家、フランチェスコ・マリア・ピアーヴェである。

当初、ヴェルディもピアーヴェも新作の題材に関して特定の目論見があったわけではなく、大デュマの『キーン』Kean1836年)なども候補として真剣に検討がなされたようだが、同月28日のヴェルディ発ピアーヴェ宛の書簡で、彼は初めてヴィクトル・ユーゴー作『王は愉しむ』(Le Roi s'amuseに言及し、ピアーヴェに即座に戯曲を入手し、同時に市当局の有力者にオペラ化に問題がないかどうか打診するように指令している。

ヴェルディは、同戯曲の主人公である道化師トリブレ(Triboulet)を「全ての劇場、全ての時代が望みうる最高の登場人物」とまで高く評価していた。ヴェルディが『王は愉しむ』に問題がないかどうかの感触を探れ、とピアーヴェに命令したのには理由があった。この戯曲は18321122日、パリのフランセ座で初演されたのだが、好悪の評が渦巻く中、早くも翌日には上演禁止となった。フランス国王・フランソワ1世の尽くした享楽と、それに対する貴族サン=ヴァリエの呪い、そしてその呪いは不具で毒舌の道化師トリブレとその娘に降りかかる、という内容は7月王政下のフランスにとってあまりに衝撃的過ぎたのだった(パリでの再演は1882年になり、ようやく可能となる)
※Wikipedia引用

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