2004/01/04

中学生活の始まり


 新中学生となった、にゃべっち。詰襟の学生服はさすがにまだ似合わないものの、相変わらず女子のような美少年ぶりには磨きがかかっていた?

同じ『B中』に通う姉ミーちゃんは、3年生になっていた。この姉の悩みは、入学当初から陸上部のエースとして大活躍し、手先も器用、おまけに成績もまずまず優秀だった兄マッハと、何かにつけて比較されることだった。何人もの教師から

「兄貴のマッハと比べ、妹のオマエはまったくダメだなー」

と、言われ続け

「ホント、イヤになるわ~。

ま、その点、アンタは平気だろうけどな。

こっちはまた、これでアンタと比較されるんじゃあ、なお最悪じゃね~の」

などと、散々にグチを聞かされていた。もっとも2年の差は大きく、入学した時には既にかなりの教員の移動があって、マッハを知る教師は数えるほどになっていた。

さて、中学最初のクラス分け。

500人中の、およそ半分は『B小』でお馴染みの顔ぶれのはずだったが、どういうわけか同じクラスには知らぬ顔ばかりが並んでいるではないか。小学生時代に気の合った友人は、見たところ誰もいない。元々、半数は「H小」と「Y小」の知らない連中とあって、まるでヨソの学区にでも紛れ込んだような錯覚に襲われた。それにしても当然のことながら、みんな小学校を卒業したのはつい半月前というのに、こうしてお揃いの学生服とセーラー服に身を固めた姿となるや、一気に大人びて見えてしまうのは不思議なものだった。

 A市は市名を冠したA学区と、地区名を冠したB学区、さらにC、D、Eという5つの学区に分かれていた。小学校はA学区に3校、B地区も同じく3校という具合に、学区単位に細かく区分される。中学校は数が少なくなり、各地区に1校ずつしかない。したがって我が『B中』を例に取れば、最も学校に近いお膝元の『B小』に対し『H小』、『Y小』の生徒らは、自転車での遠距離通学を強いられていた。

ところが中学入学の翌年、新たに『H小』と『Y小』のあるC学区に『C中』が新設されることなっていた。これにより、長年に渡るC地区の『H小』、『Y小』の生徒に強いられてきた『B中』への遠距離通学はこの年限りとなり、翌年以降は『B中』には『B小』と同じ顔ぶれのみが残ることになるわけだ。

そんな事情もあって

『Y地区やH地区(またはB地区)とヤツらと仲良くなっても、来年はまた別々だしなー』

といった意識は誰の心にも少なからずあったらしく、何をするにも『B小』組、『H小』組、『Y小』組が、それぞれなんとなく固まりあって対抗するような、一種特有のムードがあった。そんな波乱含みの中で、いよいよ中学生活がスタートした。

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