かつては家を出て、ものの数分もあれば門を潜る事の出来た、その大徳寺へ行くには、今では京都駅から地下鉄で北大路まで行き、さらにターミナルからバスに乗り換えなければならない。そうしてようやくの事で、北大路通に面した南門を潜った。
前回もご紹介したように、この大徳寺には27もの塔頭があるが、常時公開しているのは、僅か4寺院のみである。南門を入って少し歩くと、直ぐに見えて来るのが「龍源院」だ。
<龍源院(りょうげんいん)は、京都府京都市北区紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭である。大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされている。
文亀2年(1502年)に東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登の畠山義元・豊後の大友義長らが創建。明治の初めに神仏分離により、大阪・住吉神社内の慈恩寺と岐阜・高山城主だった金森長近が大徳寺内に建立した金竜院を合併した。
寺号の由来
大徳寺の山号である龍宝山(りゅうほうざん)の「龍」と、中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承する松源一脈の「源」の2文字を採ったものである。
本堂(方丈)
室町時代の永正14年(1517年)頃に建立された一重入母屋造・檜皮葺の建物。日本の方丈建築としては、古例の一つである。室中(しっちゅう)襖絵の龍図は、作者や制作年代は不明だが,桃山~江戸時代の作といわれている。
玄関
本堂(方丈)へと至る切妻造・檜皮葺の玄関で、本堂と同時代に建立された。
表門
切妻造・桧皮葺の四脚門で、方丈・唐門と同時代に建立された。
開祖堂
開祖・東渓禅師の塔所となっている一重入母屋造り・檜皮葺きの建物で、南北朝・鎌倉・室町初期時代の唐様式の粋を取り入れた昭和の代表作である。
東滴壺(とうてきこ)
昭和35年(1960年)に作庭された方丈と庫裏との間の現代壺庭の傑作で、白砂敷きの中に5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。
一枝坦(いっしだん)
東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から名づけられたもので、丸く象った苔の中に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。
龍吟庭(りょうぎんてい)
方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、中央の石組は須弥山を表し,青々とした杉苔は洋々たる大海を表わす。
滹沱庭(こだてい)
宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられた白砂の庭で、阿吽の石と名付けられた2つの石は聚楽第の遺構といわれる。
木造釈迦如来坐像
龍源院の創建より古い鎌倉時代の作で、建長2年(1250年)、行心作の銘がある。京都八釈迦のひとつに数えられる。
猿猴図
2幅で一対となっている掛幅で、長谷川等伯が描いたものと伝わる。
達磨図
達磨図
中国禅宗の祖である達磨を描いたもので、徳川幕府の御用絵師だった狩野探幽が描いた。
種子島銃
天正11年(1583年)の銘により、日本最古の種子島銃といわれる。
四方蒔絵碁盤・碁筒
豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝わる。
門構えからはそれほど大きくない寺を予想したが、中に入って驚いたのは庭園が4つもある事である。それぞれに趣向を凝らした、4つの庭園が楽しめるのは素晴らしい。元々、枯山水庭園というものは無限の宇宙の森羅万象を凝縮し、有限の空間に置き換えたものだといわれるが、この高い芸術性を持つ坪庭こそは、その究極の姿だと言えよう。
そうして4つの庭園を堪能して、次は「龍源院」の裏に隠れるような立地に位置する「瑞峯院」を訪ねる。
<瑞峯院は、京都府京都市北区紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭である。境内には、大友宗麟夫妻の墓がある。
天文4年(1535年)に九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟が帰依した大満国師・徹岫宗九(てっしゅう
そうきゅう)を開祖に迎え、自らの菩提寺として創建した。瑞峯院という寺号は宗麟の法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」から名付けられたものである。
方丈(本堂)
方丈(本堂)
創建時に建立されたもので、室町時代の方丈建築の貴重な遺構である。内部の襖絵は近年の作品だが、瑞峯の院名にちなんで朝鮮の金剛山を写した大作である。正面には、後奈良天皇の宸筆になる寺額を掲げている。重要文化財。
表門
創建時のもの。重要文化財。
唐門
創建時のもの。重要文化財。
茶室
茶室
餘慶庵 表千家8代目啐啄斎の好みの席を写したもの。
安勝軒 表千家第12代惺斎の好み。大徳寺山内唯一の逆勝手席になっている。
安勝軒 表千家第12代惺斎の好み。大徳寺山内唯一の逆勝手席になっている。
平成待庵 千利休の待庵を平成になって復元したもの。
庭園
閑眠庭の石組み方丈を中心として、南・北・西の三庭からなっている。いずれも重森三玲の手によるもので、昭和36年(1961年)、開祖である大満国師の400年遠忌に作庭された。
お目当ての庭園、まずは「独座亭」
独坐庭(どくざてい)
方丈の正面に位置する蓬莱山式庭園で、大刈込と巨石で表した蓬萊山からのびる半島と、小島に打ち寄せる荒波を砂紋で描いている。百丈禅師が呼唱された「独坐大雄峰」という禅語からの銘名。
<峨々たる蓬莱山の山岳から半島になり、大海の荒波に絶え間なく打ち寄せもまれながらも悠々と独坐しているという、大自然の活動を表わしています。
手前の方は入り海となり、静かな風景を表わしています>
手前の方は入り海となり、静かな風景を表わしています>
名前の通り
(一人で座って見るという事か?)
と思ったが、解説よると
《蓬莱山の山岳から半島になり、大海の荒波に絶え間なく打ち寄せながらも雄々と独坐する、大自然を表している枯山水》
という事らしい。
先の「龍源院」方丈前庭園と同様に、ダイナミックでスケールの大きな枯山水庭園である。
閑眠庭(かんみんてい)
キリシタン大名・大友宗麟の思いを汲んだ枯山水の庭で、東側にあるキリシタン灯篭を背にして見ると、7個の石組みが十字架を形作っている。「閑眠高臥して青山に対す」という禅語からの銘名。
方丈と餘慶庵の間にある露地で、一木一草を用いず、青石を一面に敷きつめ中央近くに立手水鉢を設けた斬新な茶庭であった。近年改築されて、松や苔の植栽に飛び石という典型的な茶庭になっている。>
「瑞宝院」を出て北の方へ歩いていくと「大徳寺総門」、「勅使門」、「山門」、「仏殿」、「法堂」など大徳寺の伽藍群がズラリと並ぶ壮観の威容である。こうして、伽藍群が一直線に並んでいるのは由緒ある古い寺の形式であり、大徳寺でその典型的な構えが見られる。
出典Wikipedia
「瑞宝院」を出て北の方へ歩いていくと「大徳寺総門」、「勅使門」、「山門」、「仏殿」、「法堂」など大徳寺の伽藍群がズラリと並ぶ壮観の威容である。こうして、伽藍群が一直線に並んでいるのは由緒ある古い寺の形式であり、大徳寺でその典型的な構えが見られる。
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