さて、最後は今宮通側にグルリと迂回して「高桐院」を訪ねる。
<高桐院は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗大本山大徳寺の塔頭のひとつである。開基(創立者)は細川忠興(三斎)、開山(初代住職)は玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)である。
鳳来(茶室)・・・裏千家・円能斎好みの茶室で、前庭に置かれている蹲踞は朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰り、三斎に贈られたものと伝わる。
書院・・・意北軒(いほくけん)と呼ばれ、千利休の邸宅を移築したといわれる。

玉甫紹琮像・・・高桐院の開山・玉甫紹琮64歳の頂相で、長谷川等伯最晩年の作と伝わる。
高士騎驢図屏風・・・長谷川等伯の作とほぼ確認できる四曲一隻の屏風で、明治の廃仏毀釈によって寺外に一時流出していた。
日吉山王祭礼屏風・・・滋賀県大津市・日吉大社の山王祭を描いた六曲一双の屏風で、根拠は乏しいが土佐派を再興した土佐光起(とさみつおき)の作と伝わる。
出典 Wikipedia
紅葉の美しいので有名な寺院だが、季節は夏とあって今は緑が鮮やかである。
表門から鍵の手になった敷石道の参道を歩いていると、さっきまでは耳を聾するばかりだったクマゼミの声が、一斉にヒグラシのそれに変わっているのはなんとも不思議だ。同じ大徳寺境内の中で、セミも縄張りを守って棲み分けているのだろうか?
紅葉で名高いこの寺院だけは、これまでの4寺院と違い枯山水庭園がない代わりに、青々としたビロードの苔庭である。枯山水を鑑賞していた時は、あの独特の一種異様な緊張感が堪らなく感じたものだったが、今度は開放的な普通の日本庭園に来ると
(やっぱり、こっちの方が落ち着くな)
と思ってしまうから、ゲンキンなものだ。とはいえ、次にまた枯山水を見れば
いずれにしても、あれだけの数の枯山水庭園を見て緊張感で喉がカラカラになっていたところへ一服の清涼剤という感じで、拝観の順序としては意図していなかったものの、理想的だったといえよう。
いずれにしても、あれだけの数の枯山水庭園を見て緊張感で喉がカラカラになっていたところへ一服の清涼剤という感じで、拝観の順序としては意図していなかったものの、理想的だったといえよう。
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