出典 http://www7a.biglobe.ne.jp/~hainn-hitorigoto/m-052brahms.html
アントン・シュタードラーというクラリネッティストがいた。彼が活躍した時代、まだオーケストラはクラリネットという楽器を標準装備しておらず、客演という形でこれを補っていたが、1787年初めてウィーンの宮廷オーケストラにクラリネットが採用された。世界初のクラリネット奏者は、アントンとその弟だった。
アントン・シュタードラーというクラリネッティストがいた。彼が活躍した時代、まだオーケストラはクラリネットという楽器を標準装備しておらず、客演という形でこれを補っていたが、1787年初めてウィーンの宮廷オーケストラにクラリネットが採用された。世界初のクラリネット奏者は、アントンとその弟だった。
モーツァルトはこのアントンと仲が良く、彼のクラリネットを想定して晩年の名作が次々と誕生した。その最たる成果が、クラリネット協奏曲と五重奏曲である。
そして100年余の時を経て、同様の事象が起きた。
マイニンゲンのオケのクラリネッティスト、リヒャルト・ミュールフェルトの登場に端を発する。ブラームスは彼のクラリネットに出会い、完全に虜になってしまった。当時のブラームスは創作力を失い、1年以上も作曲の筆をおいている状態だった。が、この時ブラームスは、生涯に感じたことのないほどの魅力をクラリネットに感じ、たちまち創作力を回復したと伝えられる。その素晴らしい成果が、クラリネット三重奏曲、2つのクラリネット・ソナタ、そしてここに挙げるクラリネット五重奏曲である。
ブラームスの全作品を通じても最高傑作との誉れ高きこの曲は、かの不朽の名作モーツァルトのクラリネット五重奏曲に唯一、比肩しうるクラリネットのための音楽と言える。共に先の短い時期に、この楽器に没頭したという点でも共通項があり、そのせいか似たような味わいがある。その味わいとは、ただ一言「枯淡」という言葉に集約される。
ブラームスという作曲家は暗い、渋いと言われながらも、初期や中期では力強く断言するような音楽も聴かせていました。第1交響曲の悲劇的な迫力や数々の管弦楽曲、初期のピアノ・ソナタなどにもそれは見受けられます。
しかしこの五重奏曲では、そういった力みは一切払拭してしまいました。残ったのは、ひたすら沈殿物を濾過しきって真水にしたような純粋さであり、絶美の楽器に対する無心の奉仕であり、また過去の栄光と安息の死を夢想する安らかな孤独です。ブラームスは晩年のこの時期に至って、初めて「音楽をする喜び」に目覚めたのではないでしょうか。
第1楽章冒頭、弦楽四重奏によって奏でられるロ短調の主題の寂しさ、そしてアルペジオで入って主題の演奏に加わっていくクラリネットの仄かな温もりは、荒涼とした孤独感に打ちのめされながらも、実に人間味溢れる素晴らしいものである。この孤独の中に微かに見え隠れする人間的な優しさ、慈しみはこの曲全体の魅力となっている。
次第に激して第2主題になるが、寂寞とした孤独は拭いきれないまま、長調になってもそれは変わらない。展開部も孤独の中から這い上がるように始まり、第1主題の徹底した展開の後に各楽器が複雑な掛け合いを演じる。
第2主題を始め提示部の要素も巧みに織り交ぜられ、静寂の展開部を彩る多彩さ。再現部は型通りながら大幅な省略を伴い、コーダでクライマックスを迎えると第1主題を悲劇的に歌い、力性はフォルテでもやはり無力感を漂わせつつ静かに消えていく。
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