2004/07/27

祇園(2002東山の花見)part5

 出典http://www.studio892.com/

 

祇園のハードとソフト

花街としての祇園を構成する主なハードウェアは「お茶屋(おちゃや)」、「仕出屋(しだしや)」、「屋形(やかた)」です。それぞれのハードの中に「女将」、「料理人」、「芸・舞妓」というソフトウェアがあります。

 

お茶屋は、お客をもてなす場所です。お客のリクエストに応じて、場所、お酒、料理、接待する人を準備します。場所とお酒はお茶屋が用意しますが、料理と接待する人は外部へ委託します。その委託先が、仕出屋と屋形です。

 

仕出屋は料理を作り、タイミングを見計らって一品一品をお茶屋へ届けます。

屋形は置屋とも呼ばれますが、芸妓、舞妓を抱えるプロダクションの様なものです。お茶屋の女将は宴会の演出家、料理人は小道具係、芸・舞妓はタレントといったところでしょう。

 

そして何より祇園で大切なソフトウェアが、そこに通う客です。遊ぶお客無くして、祇園は成り立ちません。

 

 

花柳界としての祇園

祇園とは、切っても切れない存在があります。それが京舞・井上流です。

 

井上流は、お座敷で舞われる「お座敷舞」です。井上流に限って「踊(おどり)」とは言わず「舞(まい)」と言います。井上流の先代家元、四世・井上八千代は人間国宝、現家元の五世・井上八千代は、40代の若さで芸術院会員となられています。

 

毎年4月に開催される有名な「都をどり」は井上流の主催ですし、祇園の芸妓、舞妓は、すべて井上流の舞を習います。ですから、お座敷で舞われるのも井上流の舞です。言い方を変えれば、井上流の舞が祇園を支えてきたともいえます。芸・舞妓に限らず、祇園に生きる人にとって、京舞・井上流はとても大切なものなのです。

 

特別天然記念物「舞妓」

京都を連想して、これが出てこない人がいない程、世界的に知られた存在が舞妓でしょう。今更説明の必要も無い程メジャーですが、改めて力説するなら、舞妓の仕事は舞を舞う事です。

 

舞妓と呼ぶのは京都の花街だけの様ですが、その他の花街では半玉と呼ばれたりします。簡単に説明すると、芸妓として一人前になる前の修行期間が舞妓です。

 

大抵の妓は、中学を卒業してからすぐに花街へ入りますから、歳の頃だと1620歳ぐらいになります。しかし巷の同世代の女の子の様に、無神経で不躾ではありません。精神年齢は見た目以上にずっと大人で、話しをしても不快になる事はまずありません。とはいえ、本当の素顔は不安定な少女なのです。それを白粉(おしろい)で隠し、世界的なVIPの前でも物怖じしない気心は、祇園の伝統に躾られた賜物でしょう。

 

祇園には、ほんの数えるほどしかいない、そんな特別天然記念物の様な貴重な存在、それが舞妓です。

 

だから、祇園へ行っちゃいましょうよ

祇園は、大人の集う場所です。大人といっても、成人している人という事ではありません。人として精神的に確立されているという意味です。花街とお客の接点であるお茶屋が客を選ぶのは、その為です。

 

お茶屋というと何だか堅苦しいイメージがありますが、お客のお茶屋の利用スタイルの変化に伴って、その役目は貸し座敷業からお酒を呑む場所へと変わりつつあります。おそらく、お茶屋を利用する大半が、芸・舞妓の芸を楽しむのではなく、お酒を呑む為に通っていると言っても良いでしょう。ですから、お茶屋には、気軽にお酒を呑めるホームバーを持つところが多くなりました。

 

つまりお茶屋では、必ずしも座敷に座って料理を頼んで舞を鑑賞する必要が無い訳です。ふらりと立ち寄って、ホームバーのカウンターへ腰掛けて、水割りを飲むだけでも充分OKなのです。

 

クラブやスナックで、お金を払ってまで我侭なだけのホステスに気を遣っている自分に疑問を抱いたら、思いきって祇園へ行っちゃいましょうよ。重い伝統に押し潰されてしまうのかと思いきや、予想に反して居心地良く過ごせる粋(すい)な場所。そんな不思議な空間、それが祇園です。

出典 Wikipedia

先斗町(ぽんとちょう)は、京都市中京区に位置し、鴨川と木屋町通の間にある花街。「町」と付くが、正式な地名ではない。

 

元々は鴨川の州で、江戸時代初期に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。 繁華街としては茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりで、すでに芸妓、娼妓が居住するようになり何度も取り締られていたが、川端二条にあった『二条新地』の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立をした。 明治5年(1872年)に鴨川をどりが初演され、先斗町は花街としての花を開かせた。舞踊の流派は尾上流である。



 

現状

三条通一筋下ルから四条通まで、鴨川と木屋町通の間を南北に走る、石畳の狭い通りである。花街特有の商業形態の他、一般の飲食店も並ぶ。消防法など法律で町並みの維持が危ぶまれ、さらに隣の木屋町の治安の悪化が花街に悪影響を及ぼしている。通り東側の店は鴨川に面し、納涼床を設ける飲食店が多い。先斗町歌舞練場は北の端にあり、鴨川に大きな姿を映す。

 

 

名称の由来

一説によれば、先斗という地名の語源は、ポルトガル語のponto(「先」の意)にあるとされる。また、鴨川と高瀬川に挟まれているため堤であると捉え、鼓が「ポン」と鳴ることに掛けて「ぽんと」となった、という説もある。

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