『アイーダ』第2幕第2場で演奏される「凱旋行進曲」は、全体を代表する曲の中でも特に独立して聴かれることが多い。演奏においても劇的効果を上げるため、この部分はトランペットは「アイーダトランペット」という独自の楽器で舞台上演される。
トランペットのファンファーレと弦楽の掛け合いで始まり、それに混声合唱が加わって曲調は一つのピークを迎える。その後、女声、男声の合唱が畳み掛けるように歌われ、主題の導入を迎える。主題1はトランペットの演奏で淡々と行われ主題2が来るが、その後2度上に移調した上、伴奏が一層派手で豪華になる。
ヴェルディは、音楽的に「エジプト的なもの」を採り入れようと考えていた。彼は、まず楽器史関連書籍にあった「エジプトの笛」なる記述に関心を寄せ、現物を確認しようとフィレンツェの博物館にまで赴いている。が、この時の笛はヨーロッパで当時普通に使われていた、羊飼いの呼笛と大差ないものであることに落胆しただけだった。
その後(1870年7月頃)、ヴェルディは凱旋の場で「エジプト風」のトランペットを導入し、行進曲を添えることを考えた。モデルとなったのは、ルーヴル美術館に収蔵された唯一の現物、並びに様々の壁画に描かれた長管の楽器であったと考えられる。
特注された、これらの「アイーダ・トランペット」は管長約1.2mの長大なもので、舞台で6本揃えば異国情緒を演出するには十分な偉容である。スカラ座でのイタリア初演後数年間は、これらトランペット6本1組は『アイーダ』総譜と共にリコルディ社から各劇場に公演の都度貸与され、それを使用することが公演の付帯条件とされていた。
異国情緒、綿密な時代考証といった「拘り」はパリの「グランド・オペラ」様式の延長線上に『アイーダ』があることを示している。しかし、ヴェルディの没後1922年になってツタンカーメン王の墓から発見されたトランペット状の管楽器は、管長50cm内外の比較的短いものばかりであり、ヴェルディらの考証作業も(考古学的観点からは)不十分だった、ということになる。
出典Wikipedia
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なお、この『凱旋行進曲』は、エジプトにおける初演の際に総督だか王様だか偉い人が「あまりの素晴らしさに」興奮して立ち上がったため、この曲を聴く時にはみな立ち上がらなければならない、というルールが定着したと言われる。
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