勝林院は、京都市左京区大原三千院の北にある天台宗の寺院。山号は魚山。本尊は阿弥陀如来。法然上人二十五霊跡第21番札所。
この寺は、835年(承和2年)円仁によって開かれたと伝えられ、1013年(長和2年)寂源によって中興されたと伝えられる。古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに、天台声明の道場であった。1186年(文治2年)には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答)が、この寺で行われた。江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)があったが、現在は宝泉院・実光院の2院が残る。
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勝林院の僧院で、同じような子院として、宝泉院、普賢院、理覚院などがありましたが、大正8年に普賢院、理覚院を併合し実光院となりました。この地は天台声明(てんだいしょうみょう。仏前で、節をつけて仏徳をたたえる声楽。讃美歌のようなもの)の中心地で、代々天台声明の研鑚に励んでこられました。
客殿の欄間の三十六詩仙画像は、江戸時代中期の狩野派の画家の筆。また、声明に使用する楽器なども陳列されています。
庭園は、東側が池泉観賞式(枯山水と対峙する庭園の作り方で、歩いて観賞せずに院に座ったまま眺める形式のこと)の庭園で、江戸時代後期の作庭です。律川から導いた滝の水が流れ落ち、池の手前を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てて作られています。
西側一体は、旧理覚院の庭園でした。こちらは回遊式の庭園で、荒廃していたものを現在のご住職が作庭されたものです。西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れ、東の庭とは違った趣です。
庭には桜でありながら11月頃に満開になり、春にもまた咲くという不断桜がしっかりと根を下ろしています。紅葉との対比が「いとをかし」ですね。拝観するには表の鐘をならし、少し待つと案内の方が出てこられます。混み合う秋以外は比較的閑静なお寺なので、一人静かにたたずみたい方にはお薦めです。お茶とお菓子をいただいて侘にひたりましょう。
宝泉院は、京都・大原にある、天台宗の寺院の一つである。観光地としても著名な三千院の参道奥にある。
庭園として盤桓園(立ち去りがたいという意味、額縁庭園とも言う)、鶴亀庭園(建物内の格子ごしに鑑賞する)を持ち、盤桓園には樹齢300年の沙羅双樹の木が茂る。樹齢700年の「五葉の松」も観光客に人気がある。こちらは京都市指定の天然記念物に指定されている。また、坊内にある「血天井」は、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いの際に、徳川家臣鳥居元忠以下数百名が自刃した伏見城の床板であり、その霊を供養するため天井板としているものである。
拝観客は盤桓園・五葉の松の見える座敷に通され、境内入口で渡されたお抹茶券と交換に一服の抹茶と茶菓子を供される。(お抹茶券を紛失した場合、その旨を申告すれば代わりの券をそっと渡してもらえる。)
また、境内には宝楽園という庭園もつくられている。
来迎院は、京都市左京区にある天台宗の寺院。山号は魚山。本尊は薬師如来。平安時代前期、円仁が天台声明の道場として創建したのに始まると伝えられる。1109年(天仁2年)融通念仏の祖とされる良忍が、この寺に入寺して再興された。たびたび焼失したが、その度に再建され現在の建物は天文年間(1532年 - 1555年)に再建されたものである。江戸時代には、江戸幕府から朱印状を与えられている。
文化財
国宝
伝教大師度縁案並僧綱牒(でんぎょうだいしどえんあん ならびに そうごうちょう) ・・・最澄(伝教大師)の得度や受戒に関わる文書類3点を一巻としたもので、最澄の伝記資料として極めて貴重なもの。東京国立博物館に寄託。
日本霊異記 中下 2帖
平安時代後期に遡る日本霊異記の古写本で、同書の中・下巻の現存最古本として、日本文学史上貴重なものである。京都国立博物館に寄託。
重要文化財
木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像・木造釈迦如来坐像(本堂安置)
来迎院如来蔵聖教文書類・・・来迎院の如来蔵(経蔵)に伝来した聖教(しょうぎょう)、文書(もんじょ)類の一括で、良忍自筆本を含む。
三重石塔(良忍の墓とされる)
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