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ブラームスの晩年は表面的には名声に包まれたものでしたが、本音の部分では時代遅れの作曲家だと思われていました。
丁重な扱いの後ろに見え隠れするその様な批判に対して、ブラームスらしい皮肉を込めて発表されたのが交響曲の第4番でした。終楽章にパッサカリアという、バッハの時代においてさえ古くさいと言われていた形式をあえて採用することで、音楽に重要なのは流行を追い求めて衣装を取っ替え引っ替えするではなくて、あくまでもその内容こそが重要であることを静かに主張したのでした。
しかし老境を迎えつつあったブラームスは、確実に己の創作力が衰えてきていることを感じ取っていました。とりわけ、弦楽五重奏曲第2番を書き上げるために必要とした大変な苦労は、それをもって創作活動のピリオドにしようと決心させるに十分なだけの消耗をブラームスに強いました。ブラームスは気がかりないくつかの作品の改訂や、身の回りの整理などを行って晩年を全うしようと決心したのでした。
ところが、その様なブラームスの消えかけた創作への炎を、もう一度かき立てる男が出現します。それがマイニンゲン宮廷楽団のクラリネット奏者であった、ミュールフェルトです。
ミュールフェルトは元はヴァイオリン奏者だったのですが、やがてクラリネットの美しい音に出会うとその魅力の虜となり、クラリネットの演奏にヴァイオリンがもっている多様な表情と表現を持ち込もうとしたのです。
彼は、音域によって音色が様々に変化するクラリネットの特徴を、音楽表現のための手段として活用するテクニックを完璧な形にまで完成させ、クラリネット演奏に革命的な進歩を齎した人物でした。そのほの暗く甘美なクラリネットの音色は、最晩年の諦観の中にあったブラームスの心を捉えて離しませんでした。
創作のための筆を折ろうと決めていたブラームスの心は、ミュールフェルトの演奏を聴くことで揺らぎ、ついには最後の残り火をかき立てるように、クラリネットのための珠玉のような作品を4つも生み出すことになったのです。
1891年:クラリネット三重奏曲
1891年:クラリネット五重奏曲
1894年:二つのクラリネットソナタ
そして、何といってもポピュラーなのは五重奏曲です。このジャンルの作品としては、モーツァルトの神懸かった作品に唯一肩を並べることができるものとして、ブラームスの全作品の中でも、いやロマン派の全作品の中においても燦然たる輝きを放っています。
第3楽章は一応スケルツォの位置づけなのでしょうが、彼の交響曲におけるインテルメッツォのように中庸の速度をとっています。ただし中間部は、急速なプレスト・ノン・アッサイです。短い3部形式で、Aは味わい深さと温かみ併せ持つ音楽。弦に伴奏されて現れるクラリネットは、孤独以上に慰めを湛えています。これに対しBはかなり技巧的で、短調に転じせわしなく楽器が駆け回ります。
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