ブラームスという作曲家は暗い、渋いと言われながらも、初期や中期では力強く断言するような音楽も聴かせていました。第1交響曲の悲劇的な迫力や数々の管弦楽曲、初期のピアノ・ソナタなどにも、それは見受けられます。
しかしこの五重奏曲では、そういった力みは一切払拭してしまいました。残ったのは、ひたすら沈殿物を濾過しきって真水にしたような純粋さであり、絶美の楽器に対する無心の奉仕であり、また過去の栄光と安息の死を夢想する安らかな孤独です。
ブラームスは晩年のこの時期に至って、初めて「音楽をする喜び」に目覚めたのではないでしょうか。
全曲を通して、無駄は一切排斥されています。ソナタ形式にしても、変奏曲形式にしてもすっきりと見通しがよく、ごてごてしさはありません。これもモーツァルトの同五重奏曲に類似する特徴でしょう。
殊に第2楽章は、晩年のブラームスの特徴が結晶化した素晴らしく美しい楽章で、朝日に溶ける霜のように淡いクラリネットの主題は、筆舌に尽くしがたい美と寂寥を備えています。弦に移って同じ主題を繰り返し、後は綿々といつ果てるともない歌を口ずさむのです。どこか高いところをひたすら見つめるような音楽です。
続いて第1楽章の第1主題の回想がありますが、これは前者以上に淡く息絶えてしまいそうです。この後、少し音楽が動き、急速なアルペジオを交えるクラリネットのメロディは、木の葉を散らす北風のようです。次第に吹き荒れる木枯らしへと変化しますが、その力強さは極めて儚いものです。
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