2004/07/09

延暦寺(2001洛北の秋part9)

 現代

昭和62年(1987年)83日、4日両日、比叡山開創1200年を記念して、天台座主山田恵諦の呼びかけで、世界の宗教指導者が比叡山に集い「比叡山宗教者サミット」が開催された。その後も毎年8月、これを記念して比叡山で「世界宗教者平和の祈り」が行なわれている。

 

1994年、延暦寺は「古都京都の文化財」の一環として、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

 

境内

比叡山の山内は「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」と呼ばれる3つの区域に分かれている。これらを総称して「三塔」と言い、さらに細分して「三塔十六谷二別所」と呼称している。このほか、滋賀県側の山麓の坂本地区には本坊の滋賀院、「里坊」と呼ばれる子院群、比叡山とは関係の深い日吉大社などがある。

 

三塔十六谷二別所

東塔-北谷、東谷、南谷、西谷、無動寺谷

西塔-東谷、南谷、南尾谷、北尾谷、北谷

横川-香芳谷、解脱谷、戒心谷、都率谷、般若谷、飯室谷

別所-黒谷、安楽谷

 

東塔

根本中堂発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である。

 

根本中堂(国宝) - 最澄が建立した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建されたものである。1954年(昭和28年)に国宝に指定された。入母屋造で幅37.6メートル、奥行23.9メートル、屋根高24.2メートルの大建築である。土間の内陣は外陣より床が3メートルも低い、独特の構造になっている。内部には3基の厨子が置かれ、中央の厨子には最澄自作の伝承がある秘仏・薬師如来立像を安置する(開創1,200年記念の1988年に開扉されたことがある)

本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが、最澄の時代から続く「不滅の法灯」である。この法灯は信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっている。嘉吉3年(1443年)に南朝復興を目指す後南朝の日野氏などが、京都の御所から三種の神器の一部を奪う禁闕の変が起こると、一味は根本中堂に立て篭もり、朝廷から追討令が出たことにより幕軍や山徒により討たれる。


 

文殊楼 - 寛文8年(1668年)の火災後の再建。二階建ての門で、階上に文殊菩薩を安置する。根本中堂の真東に位置し、他の寺院における山門にあたる。

 

大講堂(重文) - 寛永11年(1634年)の建築。もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを1964年に移築した。重要文化財だった旧大講堂は、1956年に火災で焼失している。本尊は大日如来。本尊の両脇には向かって左から日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍の像が安置されている。いずれも若い頃、延暦寺で修行した高僧で、これらの肖像は関係各宗派から寄進されたものである。

 

法華総持院東塔 - 1980年再建。多宝塔型の塔であるが、通常の多宝塔と異なり上層部は平面円形ではなく方形である。下層には胎蔵界大日如来、上層には仏舎利と法華経1,000部を安置する。

 


戒壇院(重文) - 延宝6年(1678年)の再建。

 

国宝殿 - 山内諸堂の本尊以外の仏像や絵画、工芸品、文書などを収蔵展示する。

 

浄土院 - 東塔地区から、徒歩約15分のところにある。宗祖最澄の廟があり、山内でもっとも神聖な場所とされている。ここには12年籠山修行の僧がおり、宗祖最澄が今も生きているかのように食事を捧げ、庭は落ち葉1枚残さぬように掃除されている。

 

無動寺 - 根本中堂から南へ1.5キロほど離れたところにあり、千日回峰行の拠点である。不動明王と弁才天を祀っている。貞観7年(865年)、回峯行の創始者とされる相応和尚が創建した。

 

大書院 - 昭和天皇の即位にあわせ、東京の村井吉兵衛の邸宅の一部を移築したもので迎賓館として使用されている。

 

西塔

転法輪堂(重文) - 西塔の中心堂宇で、釈迦堂ともいう。信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)、当時の園城寺金堂(1347年の建立)を豊臣秀吉が無理やり移築させたものである。本尊は釈迦如来立像(重文)。

 

常行堂・法華堂(重文) - 2棟の全く同形の堂が左右に並んでいる。向かって右が普賢菩薩を本尊とする法華堂、左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂で、文禄4年(1595年)の建築である。2つの堂の間に渡り廊下を配した全体の形が天秤棒に似ているところから「担い堂」の称がある。

 

瑠璃堂(重文) - 西塔地区から黒谷(後述)へ行く途中にある。信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂といわれる。様式上、室町時代の建築である。

 

黒谷青龍寺 - 西塔地区から1.5キロほど離れた黒谷にあり、法然が修行した場所として有名である。

 

横川

西塔から、北へ4キロほどのところにある。嘉祥3年(850年)、慈覚大師円仁が建立した首楞厳院(しゅりょうごんいん)が発祥である。

 

横川中堂 - 新西国三十三箇所観音霊場第18番札所。旧堂は1942年、落雷で焼失し、現在の堂は1971年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。本尊は聖観音立像(重文)

 


根本如法塔 - 多宝塔で、現在の建物は大正期の再建。円仁が法華経を写経し、納めた塔が始まりである。

 

元三大師堂 - 四季に法華経の論議を行うことから、四季講堂とも呼ばれる。おみくじ発祥の地である。

出典 Wikipedia

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