2004/07/15

女子マラソン劇場part5



 D子選手の語る、ある合宿でのひとコマである。

《深夜に突然、Aコーチの部屋へ呼び出された。選手にとってAコーチは絶対的な存在であるから、深夜の呼び出しを不審に思えど、その命令に背くことなどは考えられなかった》

渋々と足を運んだD子選手に

「どーれ、どのくらい体が出来てきたか見てやるから、裸になってみろ」

と命じられた。また

「筋肉を解すため、マッサージをしてやろう・・・」

と言われるままに横になると、明らかに手付きがおかしかった・・・」 》

さらには

《シャワーを浴びていると、何の前触れもなくAコーチが入ってきて

「おお!
この合宿で、随分といい感じに身体が出来上がって来てるな」

などと言いながら鼻の下を伸ばし、薄気味の悪いニヤニヤ笑いを浮かべながら、舐めまわすようにジロジロと裸の身体に目を凝らしていたのである。その目は「中年オヤジの欲望に塗れた目」以外の、何物でもなかった》

《当初こそ「名伯楽」という世評を信じて言うがままに我慢をしていたが、次第にこうした常軌を逸した言動が度重なり、単なる「好色オヤジ」というAコーチの正体が不気味に思えてきた私は、恐怖心、絶望などから、衝動的に失踪をしてしまったのでした・・・》

《こうした証言が、単にD子選手の被害妄想に基づくものでない事は、先にも触れたB子選手を始め、他チームに移籍した複数の選手が同じような証言をしている事からも、もはや明白である。ただし、これらはあくまで一例であり、Aコーチ門下の選手が皆そうかというとそうではない。世間的にはAコーチの手腕を頼って門下に入って来た選手といえば、移籍後に目ざましい成績を上げて心底から満足している選手の方が、良く知られるところである》

《そうした選手は元々、Aコーチに惚れこんでわざわざ門下に入って来るくらいだから、元々Aコーチの事を神の如くに崇め奉り

「コーチの言う通りにしていれば、絶対に間違いがないのだ・・・」

と、あたかも新興宗教の(似非)カリスマ教祖に寄せる狂信的な信者の如き熱病に浮かされ、本来であれば首を傾げざるをえないような不可解な命令や指示にも、なんの疑問も抱かないような世間知らずや、子供のように純粋な性格の選手といえるかも知れない。こんな選手こそは、Aコーチが食い物とするには恰好の「獲物」なのである・・・》

 《Aコーチのセクハラは、覗きからマッサージと称して身体に障る、また特に気に入られた選手は自室に呼ばれる事もしばしばであり「ミーティング」と称して中で何が行われているかは、当事者以外は知る由もない。が、その後Aコーチと袂を分かった選手たちが、その辺りに触れる事を極度に嫌がるのはなぜだろう。そして、こうしたケースを経た選手のコーチに向ける視線が、一様に「男に対する目」になっているように見えるのは、気のせいだろうか。

しかしながら一度坂を転げ落ち始めれば、Aコーチの視線が再びその選手に向く事は絶対にない。利用価値のなくなった選手は、ボロ雑巾のように打ち捨てて顧みぬAコーチの目は、常に「新たに金になる(に加え自由になる)獲物」の物色に余念がないのである・・・》

実に厄介なことに、Aコーチにはこれまで輝かしい実績(実際には、単に素質ある選手に恵まれただけであったとも思える)があったから、その手腕を慕って門下にやってくる選手たちの目には、Aコーチは「マラソン界の教祖」にしか見えないのである。

たとえ冷静な第三者の目には、単なる「セクハラオヤジ」にしか見えなくとも、そして実際にセクハラと呼ぶに相応しい怪しい言動を繰り返そうとも、当の被害者自身が「教祖」を盲目的に崇め奉っているのであるから「セクハラ」という被害意識など毛頭なく、いかなる怪しげな言動と言えどひたすらにありがたがって押し戴いているのが実情である。

ただし何らかのできごとを契機として、そのような「妄信」から目が覚めた選手も少なくない。そうした選手らは、悉くAコーチの「セクハラ」の狼藉を訴えていたが、D子選手のように自らの恥を忍んで事を公にするケースは、これまで終ぞなかった。ここがAコーチの付け目であり、また狡猾さともいえる》

文中に出てくるコーチや選手名は、ある人物をモデルとしてイメージしながら書いた部分もあるが、基本的には総てフィクションとして創作したものである。Aコーチが「ヒゲのメガネオヤジ」などとは、断じて申しておりません ( ´艸`)ムププ

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