しかも、この人の並外れた才能は音楽家として作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍したに止まらず、少年のころから様々な分野に興味を持ち、哲学、天文学、絵画にもそれぞれ精通し、さらには戯曲や詩集なども発表するという、まさに「音楽界のダ・ヴィンチ」ともいうべき桁外れの博学多識ぶりであったらしい。
その後も様々な分野に手を染めながらも、有名な音楽賞を次々と獲得するという多才ぶりを如何なく発揮した。その博識ゆえの嫌味な性格は人々の良く知るところであり、有名なピアニストのアルフレッド・コルトーに向かって
「へぇ、君程度でピアニストになれるの?」
といった話は有名である。
これは、彼が超一流しか眼中になかったことを示すエピソードでもあった。
晩年、印象主義音楽の台頭の中で、近代音楽を批判して古典主義、ロマン主義を貫いたこともサン=サーンスの孤立を強めた。このため、楽界の大御所としての世間的な評価は不遇であった。
若き日のドビュッシーは、サン=サーンスの典型的な批判者であった。勿論このことは彼とドビュッシーの目指す音楽に、あまりに大きな差があったというのも、ひとつの原因であろう。しかし、ドビュッシーはサン=サーンスのことを 「サン=サーンスほどの音楽通は、世界広しといえどもいない」とも評価している。
晩年は才能が枯れたか、はたまた86歳までと長生きしすぎたせいか、作曲家としては天才モーツァルトには比すべくもなく終わったのは、あれこれと手を出せば何でも出来てしまう、マルチ人間特有の宿命ともいうべき「器用貧乏」のなせる業だったのかもしれない。それでも各ジャンルにほぼ満遍なく、素晴らしい傑作を遺したのはさすがといえる。
さて、この非常に多作なサン=サ-ンスの代表作として知られるのが、交響曲第3番「オルガン」である。この曲の画期的なところは、当時としては常識破りと言われた、交響曲にオルガンを導入したところであり、これはオルガンの名手であったサン=サ-ンスならではの、非常に冒険的かつ大胆な発想だったと言うべきだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿