2004/07/28

サン=サ-ンス 交響曲第3番「オルガン」第1楽章(第一部)



 フランスといえば、Classicの盛んなお国柄だけに、古くは太陽王・ルイ14世のお抱え作曲家として、数々のバレエ音楽やオペラなどを創作したジャン=バティスト・リュリや、クラブサン(clavecinはフランス語で、一般的にはイタリア語のチェンバロ=cembaloと言われるケースが多い。英語ではハープシコード=harpsichord)の名曲を多く遺したラモーに始まり、新しいところでは20世紀の6人組(オネゲル、プーランク他)やメシアンまで、さらに有名どころとしてビゼー、ベルリオーズ、フォーレ、マスネ、グノー、サティ等々、挙げていけばキリがない。

中でもドビュッシー、ラヴェルの両巨頭に並ぶ大物として広く知られるのが、今回ご紹介するサン=サ-ンスだ。

1835年に官吏の家庭に生まれたサン=サ-ンスは、モーツァルトと並び称される神童タイプであった。幼少の頃から、類稀な才能を発揮したサン=サ-ンスは、3歳でピアノを弾き始めると4歳で早くも独力で作曲。弱冠5歳にして、難曲揃いで「ピアニストの聖書」と言われるベートーヴェンのピアノ・ソナタを弾いてみせたばかりか、2年後には 32曲総てを暗譜で弾けるようになっていたという超人的な才能を発揮し

「モーツァルトの再来!」
「神童現る!」

などと、広く嘱望された事は有名である。

また10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの演奏会を開き、16歳で初めての交響曲を書いている。

1848年に、13歳でパリ音楽院に入学して作曲とオルガンを学ぶ。やがて作曲家兼オルガニストとして活躍。とくにオルガンの即興演奏に素晴らしい腕を見せた彼は、1857年に当時のパリのオルガニストの最高峰といわれたマドレーヌ教会のオルガニストに就任する。

1871年にはフランス音楽普及のために、フランク、フォーレらとともにフランス国民音楽協会を設立した。
出典Wikipedia

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