祇園(ぎおん)とは、都の代表的な繁華街及び歓楽街。八坂神社(江戸時代までは祇園社)の門前町として鴨川から東大路通・八坂神社までの四条通沿いに発展した。京都有数の花街(舞妓がいることでも有名)であり、南座という歌舞伎劇場もある。現在は茶屋、料亭のほかにバーも多く、昔の面影は薄らいだが、格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれる。
北部の新橋通から白川沿いの地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定、南部の花見小路を挟む一帯は京都市の歴史的景観保全修景地区に指定され、伝統ある町並みの保護と活用が進んでいる。
また、四条通と東大路の交差点は
「祇園」交差点である(しばしば「祇園石段下」とも言う)。交差点付近に、京都市営バス・京阪バスの祇園バス停留所がある
出典 Wikipedia
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花街という不思議な世界
花街(かがい)については、その作られたイメージや噂だけの思い込みで語られる事が多い様です。映画などで取り上げられる昔の頃の暗いイメージや、花街と遊郭を混同した勘違いで、凄まじく不当な扱いを受けているのが実情でしょう。
確かに大昔には、その様な事があったのかもしれません。しかし、ハッキリ断言して、その様なマイナスイメージの要因は今の花街、少なくとも祇園にはありません。
では、何故、世間様のイメージが改まらないのでしょうか?
それは花街の中の事が、いっさい外には出ないからです。花街には、中の事を決して外には漏らさないという決まりがあります。勿論、外に漏らされては困る様な行いがされている訳では、決してありません。花街が今でも、その伝統を守っているだけ、という話なのです。
外から見ると、明確なルールも無く一部の特定の人間だけをお客として認めている怪しいシステムが、花街の謎により一層の拍車をかけています。花街は一般との接点が無い事と、昔のままの情報とが相俟って、今も噂だけが先行する妖しい男の楽園として語られているのです。
ゴッタ煮の祇園
一言に「祇園」といっても、地名としての祇園はかなり広範囲です。京都市街地の中心を東西に走るメインストリート、四条通の東端に八坂神社があります。その八坂神社の周辺を祇園と呼ぶのだそうです。
祇園といえば歓楽街として有名ですが、地名としての祇園で言うと、八坂神社より西側がそれにあたります。観光パンフレットの写真などで見る景観保存地区のイメージから、祇園には一見さんお断りの高級なお店しか無い様に思われがちですが、その大半が普通のネオン街と変わらない普通のお店です。ですから、四条通の北側には近代的なビルが建ち、クラブやスナック、飲食店でひしめいています。深夜にはタクシーが並び、ネクタイを緩めたサラリーマンが千鳥足で闊歩している、どこにでもあるごく普通の歓楽街です。
南側は比較的落ち着いた建物が並びますが、それでも一見さんOKの飲食店が増えました。祇園は、そんな雑踏の中、格式を守るお店がぽつりぽつりと点在するゴッタ煮の様な街です。それが、歓楽街としての今の祇園です。そして、花街としての祇園は、その格式を守る一部のお店の中で、雑踏に知られること無く、ひっそりと受け継がれているのです。
祇園にある2つの花街
京都には、幾つかの花街があります。上七軒(かみしちけん)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町(みやがわちょう)などです。祇園の中にも、2つの花街があります。「祇園甲部(ぎおんこうぶ)」と「祇園東(ぎおんひがし)」です。八坂神社より西側の祇園を、東西に走る四条通と、南北に走る花見小路通で4分割すると、北東の一画が祇園東、それ以外が祇園甲部となります。通常、花街の祇園と言えば、祇園甲部を指します。
花街の格は、そこへ通う客の質が決めると言っても過言ではありません。それぞれの花街は、それぞれを支えてきた客層によって、それぞれの風格が形成された様です。上七軒は西陣が近い為か大店の旦那筋が多く、先斗町は南座の近くにある為か、役者筋が多いそうです。その中でも、規模、格ともに別格なのが祇園です。客筋は、政界、経済界、宗教界、芸能界ともに各界の一流が集う街、それが祇園です。
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