2004/07/19

ヴェルディ オペラ『アイーダ』(清きアイーダ)



『アイーダ』(Aidaは、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した、全4幕から成るオペラである。

ファラオ時代のエジプトとエチオピア、2つの国に引裂かれた男女の悲恋を描き、今日でも最も人気の高いオペラのひとつであり、また第2幕第2場での「凱旋行進曲」の旋律は単独でも有名である。

『アイーダ』は、しばしば「スエズ運河の開通(1869年)を記念して作曲された」あるいは「スエズ運河の開通に合わせて完成した歌劇場のために作曲された」と言いわれることがあるが、これらはいずれも正確ではない。実際に依頼がヴェルディの元に届いたのは1870年の春、スエズ運河も開通しオペラ劇場も開場した後である。しかし、この経緯が後年になって『アイーダ』がスエズ運河開通を記念すべく作曲された、といった俗説の流布に寄与することになった。

エジプト総督イスマーイール・パシャは、ヴェルディの作品を愛していたというより、ヨーロッパの大作曲家によるエジプトを舞台とした豪壮なオペラ作品を自分の統治するカイロで初演したい、という単純な欲求があったものと考えられる。実際、イスマーイール・パシャはデュ・ロクルに

「ヴェルディが依頼を断ったら、依頼先はグノーやワーグナーに変更してもいい」

という内容の手紙を送っていた。

皮肉なことに、デュ・ロクルがその手紙の内容をそのまま伝えたことで、ヴェルディのワーグナーに対するライバル意識が惹起され、それまでブッファを中心に新作題材を検討していた彼は、このマリエットによる悲劇を真剣に検討することになった。「ワーグナー」の名を出すのは、デュ・ロクルの作戦だったかも知れない。

18706月には、ヴェルディはこの新作の作曲に大枠で合意した。ヴェルディの提示した条件は、以下の通り。

・作曲料として15万フランス・フランを受領する(これは彼の最近作『ドン・カルロ』の4倍という、法外なものであった)

・台本はヴェルディが彼自身の支出によって、彼の選んだ作家に作成させること

・台本は(ヴェルディの母国の)イタリア語であるべきこと

18711月に予定される初演は、ヴェルディの選んだ指揮者によって行われるべきこと

・ヴェルディ自身には、カイロに赴き初演を監督する義務はないこと

・仮にカイロでの初演が6か月以上遅延した場合、ヴェルディは彼の任意の歌劇場でそれを初演できること

・初演以外の全ての上演に関する権利は、ヴェルディが保持すること

ヴェルディにとって有利な条件ばかりだったが、鷹揚なイスマーイール・パシャはその全てを受諾した。
出典Wikipedia

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